【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「言い訳と説明の違い」です。
[Q]
仕事などで失敗した時に、他人に失敗した過程を説明すると「言い訳をするな」と言われます。物事の過程(プロセス)を説明することと、言い訳することにはどんな違いがありますか?
[A]
■改善のために過程の確認は欠かせません
「物事の過程を説明する」ことと、「言い訳」は違うのです。言い訳というのは失敗を正当化することです。しかし、失敗したことであろうが、その過程を聞く・確認することは立派な人がやるべきことです。これを一緒にしてはいけません。物事の過程を確認しない人は頭が悪いということになります。人は失敗します。それを直さなくてはいけません。そのためには過程を調べて確認しなければ直らないのです。
例えば車が故障したら(結果)、分解してどこが故障しているのかという過程を見なければ原因がわからないでしょう。世の中の人は皆、自分が正しいと思っているから、失敗の過程を調べることをしないで、言い訳を羅列するのです。いくらものの見事に言い訳をして、相手を納得させても、他を騙しただけで自分と他人の役には立ちません。人は不完全な存在で、同時に周りの環境も不完全で成り立っているのです。ですから、何かをやろうとすると、失敗することは当然あります。失敗しないでより良く物事を行いたいと思うなら、失敗した人は客観的にその過程を観察しなくてはいけないのです。
《日常生活で自分が失敗してしまって、周りには誰も物事の過程を聞いてくれたり、確認してくれる人がいない場合はどうすればいいのでしょうか?》
■自己反省してみましょう
「反省」という言葉があるでしょう。自分で反省するのです。それは自分自身で物事の過程を見ることなのです。物事というのは、上手くいっても失敗しても反省するべきなのです。なぜなら私たちは自信がありませんからね。たまたま物事が上手くいったからといって、すぐ調子に乗ってしまうとアウトです。次は失敗する羽目になります。なぜ上手くいったのか? なぜ成功できたのか? と過程を観察するのです。他に反省を聞いてくれる他人がいなくても、自分自身で反省しなくてはいけません。
■失敗や間違いで人を決めつけてはいけない
「言い訳をするな」と言われたなら言い訳しないだけです。「なぜこうなったのか?」と訊かれてその過程を説明したとします。それを相手が言い訳と受け取ったなら、「だったら、なぜ訊いたのか」と言いたくなる気持ちはわかります。相手が無知ならなお大変だと思います。生きるということは大変なのです。でも「私が間違った」「その時、仕方なく○○してしまった」という感情は入れずに、物事のプロセスだけを言って確認すれば、誰も怒ることも恨むことも憎むこともなく問題は解決していくのです。なぜなら人間は誰でも間違いを起こすのですからね。些細な間違いや失敗で、人を善人悪人という二つに決めつけてしまうことは成り立たないでしょう。
■失敗は過去のこと 前に進みましょう
そういうことで、物事の過程を確認するべきなのです。それができるようになれば、どこで・どんなところで判断を間違ったのかということが自覚できるようになります。例えば、過程を論理的に説明することで上司や目上の人は状況をよく理解することができ、本人が判断を間違わないように気を付けるべきところ、今まで観察できなかったところを指摘できたり、アドバイスすることができたりするのです。失敗した結果は過去のことですから、どうすることもできません。次に進まなくてはいけないのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 人間関係編2』
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