アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

  皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「性格について」です。


[Q]

    自分というものが無常で瞬間、瞬間に変わっていくものなら、自分の性格も変わっていくものなのでしょうか?    それとも性格は業が決めたものなので変わらないのでしょうか?


[A]

■条件によって現れるパターン

    それは流れとして観れば理解できると思います。例えば川と言えば、瞬間、瞬間に変化するのですが、一時間観察する、あるいは一日観察すると、あるパターン(型)で流れているということが観えてきます。性格とはそういうものなのです。そのパターンも確定しているものではありません。例えば一時間ぐらい荒川を観察したとします。その時、こんな感じの流れ方をしていると観えてきます。しかし、次の日に荒川に行ってみたら、また流れ方が別なパターンになっているかもしれません。物事は変化して流れていくのですから、条件によってそれぞれのパターンが現れてくるのです。我々の性格というのもそういうものなのです。
    例えば目の前に花が咲いていて、それを見て心に良い感覚が現れたら、あなたは「この花が好き」と言うのです。それを私の性格だと言っているだけです。しかし、別な状況や条件で同じ花を見たら「別に好きでも嫌いでもない」という感覚が現れる可能性もあります。それもあなたの性格なのです。大したことではありません。ただのパターンがあるだけです。

■害のない性格は変えなくても大丈夫

    皆さん日本人は外国に行ってもホテルに日本食があると、さっとそちらに行って日本食を食べるでしょう。他のものは食べられないのでしょうか?    いいえ食べられますよ。しかし、日本食を選ぶでしょう?    日本人には日本人のパターンが出来上がっていたりするのです。日本食があると安心できる。大きなホテルならアフリカ料理やエジプト料理もあるかもしれません。どんな料理かなと興味も出てきます。しかし、目の前にエジプト料理のチキンがあって、その横に日本食のから揚げがあると、やっぱりから揚げを選んで食べたくなるのです。それは食べる時に現れるパターンです。
    性格というのも、ある場面で現れるパターンで、それほど気にする必要もありません。例えば文字を手で書く場合にも、自分のパターンがあるのです。文字や文章を見て、これは○○さんが書いたものと当てたりするでしょう。だからと言ってわざわざ変える必要はありませんね。サインなんかする場合は、個性や癖といったパターンがあった方がむしろ喜ばれます。十回サインして十種類のサインでバラバラだったら大変です。ですから、性格というのは害が無い場合は、まったく気にする必要はありません。しかし、怒りっぽい性格の人、これは迷惑です。そういうものは直すように努力する必要があります。

《害がある性格というのは、瞑想を続けていれば直るのでしょうか?》

    瞑想を続けていれば、直す必要のない性格はそのままで、どうしても直す必要がある性格はプログラムとして順番に直っていきます。問題ありません。


■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編3』   

こころ編3.jpg 152.66 KB