アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「介護疲れの理由」です。
[Q]
親の介護をしています。親のところに一晩泊まると疲れてしまいます。一晩中世話をしているわけではありませんし、寝る時も別の部屋で休んでいます。しかし朝起きると寝る前より疲れています。それはなぜでしょうか?
[A]
■過去と現在を比較すると精神的に疲れる
あなたに、「疲れること無く、楽に生活したい」という気持ちがあれば、まずそれを捨ててください。生きることは、どこでも楽ちん、楽々とはいかないのです。しかし、生きることは困難で、難しいことでもありません。あの人より私の人生は苦しい、ということもありません。そこら辺で誤解をしている可能性があります。例えば、私は親の介護をしていない、あなたは親の介護をしている。あなたから見れば私は坊主で、親の介護という苦しみは無いと見えている。あなたは私を見て楽々と生きていると思ってしまう。
誰でも歳を取りますから、体力も衰えて疲れます。あなたも同じです。私も歳を取って最近は疲れやすいです。しかし、それを問題にはしていません。今日もこの会場に来る時に、かなり速足で歩いたのですが、それでも新幹線に三分遅れてしまいました。なので、すぐ次の新幹線を予約しました。それで疲れました。しかし、「年寄りだから仕方ない」とそれで終わりました。何時間か座れれば肉体的な疲れも無くなるでしょう。
そこで精神的に疲れを感じるのは、過去と今を比較する時なのです。新幹線に乗る前に、ホームに子供たちがいて走り回っていたのです。それを見て「若い人は元気で年寄りにはあんな真似はできない」と観察していたのです。しかし、自我でその光景を見たら、「はぁ、私も老いてしまったなぁ」と少し暗い気持ちになってしまう。苦しみを感じてしまうのです。その比較は妄想です。
ですから、肉体的に疲れる状況ではないのに疲れてしまうということは、何かと比較するということをやっているのです。そこを何とか気づいて止めればいいのです。「疲れたっていいじゃないか」と明るく思ってみてください。
《病人の負のエネルギーの影響を受けているように思うのですが?》
それはあなたの迷信でしょう。どんな迷信を大事にするのかは個人の自由です。苦しみたければ自由に迷信を信仰してください。慈しみの気持ちで世の中のことを観られれば、すごく気軽に生きられます。人が治るのは完璧に自力であって、医者には手当てはできても病気は治せません。自分が病人の影響を受けて疲れていると思っているなら、それはあなたが自分で作った妄想です。迷信であって邪見なのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: ライフハック編2』
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