横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)
藤田一照(曹洞宗禅僧)


2人の「発心」がどのようなものだったか、「これまでの仏教」を通しての修行、そして「これからの仏教」の展望を伺った2021年の第1回。そしてこの2022年の第2回対談では、「現代における坐禅の意義はどこにあるのか」をテーマに、「釈尊の樹下の打坐、達磨の面壁、道元の只管打坐と連綿と伝わってきた幽邃な坐禅の世界を二人で縦横に語ってみたいと思います。」という藤田一照師の言葉を入り口にして、「坐禅の探求に生涯をささげるのみなのであります。」という横田南嶺老師と、坐禅の本質と今日性についてお2人にお話をいただいた。全6回でお送りする第5回。


第5回    探究への情熱の種をまく


■自分の物差しは置いて、黙って10年坐れ

藤田    初めて僧堂生活に入ると、いきなり自分の体に合わない制服を着せられた感じがして、いろんなことが窮屈に感じると思うんですね。今まで好きにやっていたのが、歩き方から、お箸の持ち方や食べ方から、髪型とか、咀嚼(そしゃく)の仕方までうるさく言われて、いきなり自分の自由を束縛されたように感じる。でも、合わない制服を着せられたような窮屈さを感じながらも動いているうちに、自分の体や心がそれに合っていく経年変化というのが、あるような気がします。

横田    ああ、それはありますね。

藤田    そうして自分のものになってくると僧堂修行の身体作法を守りつつ、自分なりの表現が出てきて、同じように動いているけど、自分のそのときの在り方みたいなものを表現する余白のようなものが生まれてくる気がするんですね。
    今は僧堂に平均どのくらいいるのかわからないですけど、澤木老師のお弟子さんの内山興正【*7】老師に私は「まず黙って10年」と言われました。修行というものは10年単位ぐらいの間尺で考えないといけないということですね。最初の3~4年の期間はいろいろ文句も出る。ブクブク、ブクブクとカニが泡を吹くように、いろんな「ああだ、こうだ」「ああじゃない、こうじゃない」が出てくるけど、それは当たり前だから、とりあえず横に置いて、相手にせずに皆と一緒に生活を続ける、それを最優先にする。それを「自分の物差しを使わずに」と表現されてましたね。
    自分の物差しがあるから、それと比較してあれやこれやの不平不満や注文が出てくるので、「自分の物差しは横に置いといて、まず黙って10年」。10年ぐらいすると修行の世界の見渡しがきくようになり、制服に体と心が合ってきて自分の服になる。そうなるまでは、ある程度の時間がかかります。

横田    そう、時間なんですよね。私なんかも、やはり10年でした。それまでは窮屈な坐禅でしたが、10年かかってようやく坐禅の喜びを感じられるようになりました。でも、そこに問題があります。うちの修行道場でも10年いる人はほぼいませんからね。だいたい2年か3年です。ですから、3年目のまだ坐る姿勢も定まらないうちに、もう指導的立場になってしまいます。
    そうすると何をやっていいかわからないものですから、細分化の細分化になっていく。私は「この頃は私の知らない規則がいっぱいあるね」と言ってよく笑うんですけど、もうしょうがないですよね。不安だからそうせざるを得ない。
    現在も行われている伝教大師最澄様に仕える籠山行が十二年を一期とするのは、やはり意味があると思います。

藤田    仏道修行というのはそのぐらいのタイムスパンで考えないとだめだと。

横田    我々の禅も「10年坐れ」の世界ですが、ほとんどの修行僧は坐らない。では、10年坐る人だけを相手にすればいいのか。そうすると、あとの人は坐禅嫌いで終わってしまいます。それで、せめて1年いる者は1年いたなりに、2年いる者は2年いたなりに、3年いる者は3年いたなりに、何か少しでも良さを感じてもらうにはどうしたらいいかと、いろいろ試行錯誤をしています。それは余計な親切ですかね。

藤田    まあ、規則を変えて10年修行しないと資格あげないようにするか。でも、それだと本当に我慢大会になって、今の悪い傾向がさらに助長されてしまうと思うので……。
    お酒や味噌の熟成された10年物のように、10年いるあいだに自然に醸し出されるような何かが培われてくると思うんです。それを濃縮したような形にして3年ぐらいで、その片鱗ぐらいは味わえるような手立てを考える必要があります。それから3年で僧堂を出た人も、さらに僧堂の外で修行は続けられるはずですので、自分のお寺とか、僧堂の外での生活で活かせるような学びを僧堂にいる間に身につけられるようにできればと思うんです。

横田    まだ熟成の期間なんですね。

藤田    そう、僧堂を出ても修行はまだずっと続くわけですから、僧堂での3年の間に「僧堂外の僧堂」のようなものを自分なりにビジョンとして持ってもらうようにする。もちろん10年で終わりではないですよ。でも、まず10年しないと、10年から20年目の次の10年は来ないわけですから。
    内山老師が「安泰寺に黙って10年いなさい」と言われたので、「その次はどうしますか?」と聞いたら「もう10年」。それで、「その後は?」と聞いたら「もう10年」。30年。もうその頃には、ほとんど人生が終わっているし、その路線以外はできなくなっているから、後はもう自由形だそうです。それで、「まず10年、それから10年、さらに10年」って言っていました。僕は、今40年を過ぎたんですけどね。始まりのない悟り、終わりのない修行ってことですね。

★5話_8.jpg 389.44 KB


■未知への探究、探究への情熱

横田    自分でやってきたことを見ても、あまりにも時間がかかり過ぎたところはありますね。やはり余計な力を入れすぎていました。それは姿勢にしても、呼吸にしてもですね。我々の呼吸法というのは岡田虎次郎【*8】なんかの影響もあって「一呼吸1分以上」とか言われました。うちの亡くなった師匠なども、隣の大船駅へ出かけるときは、電車の中で呼吸は3回にしろとか、そんなことを言うわけですよ。それで私は頑張って一呼吸ぐらいで行くようになったんですよ。

藤田    ええ、すごいですね。北鎌倉駅から大船駅まで何分ぐらいかかりますか?

横田    だいたい3分ですね。頑張ればできますよ。ですが、そんなことを頑張ってもねぇ、別段……。海女の人なら海に潜るとき役に立つでしょうけども。でも、あるときに、何年ぐらいたったときでしょうか、それを手放してみて、初めて自然に湧いてくる呼吸に感動しました。それは打ち震えるような感動がありました。
    でも感動するにしても、こんなやり方では無駄が多すぎます。もう少し合理的な教え方があるだろうと思います。それで、自分のやってきたことだけではなくして、いろんな人にはいろんな人のたどり方、アプローチの仕方があるから、それを学んで伝えられればと思っているのです。10年を3年にするのは無理にしても、何か「あ、こういうのがあるのか」と心に残って、「ああ、いいものがあるな」ということをどこかに感じるような。

藤田    そうですね。

横田    「嫌だ、嫌だ」だけですとね、続きはしないです。劣等感だけが残ってしまいます。

藤田    そうそう。言われたことを我慢してやるのが修行だというイメージがあって、夫婦の関係を「僕の修行です」「私の修行です」という表現がよくあるわけですよ。あるいは「会社の仕事も修行です」みたいな。それは修行ではなくて我慢比べの苦行ですよね。
    本来の修行はそういうものではなくて、僕は未知の探究だと言っています。まだわからないこと、幽邃なものを探究していく。その探究への情熱なり好奇心なりの種撒きと、その探究の方法、そして道を学ぶ上で用心すべきことを3年の僧堂生活で身につけてもらう。あとは一生かけて、その探究をやってもらうと考えるべきではないですか。

横田    私が思っていたことを、上手に言葉にしていただきました。本当に、まずは探究の情熱ですよね。

藤田    それは老師がまさに体現されておられると思います。

横田    いや、いや、佐々木奘堂(ささきじょうどう)【*9】さんの情熱はすごいんですよ。うちでも講義をしてもらいましたが、それは雲水にも伝わるんですよ。「奘堂さんはすごい」と感心している。「でも、何を言っているか、わかりません」だそうです。

藤田    いや、すぐにわからなくてもいいんですよ。未知の探究なんですから。大事なポイントは、未知を既知に変えることにあるのではなく、探究を継続、深化させていくことの方にあるんです。

横田    そうです。「ああいう人がいるんだ」というのは、彼らには大きな刺激です。私なんかは、こういう活動してるもんですからね。我が臨済宗も少し動きが変わってきましてね。その奘堂さんが大きな本山で、和尚さんたちの研修の講師に呼ばれました。

藤田    それは、すごいですね。彼のような人を講師に呼ぶほうもすごい(笑)

横田    私もね、奘堂さんに「よかったね」って言いました。

藤田    YouTubeの「管長日記」で老師が取り上げたからですよ。

横田    『新・坐禅のすすめ』(禅文化研究所編)に対談が載ったりしてね。私なんかは、もう伝統の世界は変わらないといけないと思っていましたが、やはり同じように今まで修行道場でやってきた坐禅に問題を感じている和尚が少なからずいるんですね。そうでないとね、佐々木奘堂さんを呼ぼうということにはならないですよ。

藤田    素晴らしい動きですよ、それは。

横田    だから希望を感じたんですよ。私も少しは役立ったかなあと思いましてね。

藤田    いや、すごく役に立っていると思いますよ。

横田    やはり現状に疑問を持っている人がいるのは、もう喜びだと思いますね。だからまだ変革をしていくのではないかと思いましてね。

★脚注
*7内山興正:1912~1998曹洞宗の僧侶。安泰寺6代目住職。
*8岡田虎次郎:1872~1920 大正時代、健康、修養法として大ブームになった岡田式静坐法の創始者。
*9佐々木奘堂:1966~ 臨済宗天正寺(大阪市天王寺区)住職、元臨床心理士


2022年7月2日、北鎌倉・円覚寺にて対談
構成:森竹ひろこ


第4回 現代における坐禅の諸相
第6回    坐禅の意義


【最新情報】

2023年7月23日    横田南嶺老師×藤田一照師対談    開催!

見逃し配信付チケット発売中

https://peatix.com/event/3631624/

横田×藤田第3回-peatix.jpg 521.47 KB