アルボムッレ・スマナサーラ(初期仏教長老)
スペシャルゲスト:熊野宏昭(早稲田大学人間科学学術院教授)



2022年6月に開催した『サンガジャパンプラス』新創刊記念オンラインセミナー「仏教瞑想とマインドフルネス──瞑想が私たちにもたらすもの」では、アルボムッレ・スマナサーラ長老より、今の時代だからこそ必要なヴィパッサナー瞑想のポイントについて教えていただきました。さらに、日本におけるマインドフルネスの第一人者・熊野宏昭先生と「仏教瞑想は私たちの脳や意識や心をどのように変えていくのか?」をテーマにご対談もいただきました。最終回となる第4回は、参加者からの質問に対するスマナサーラ長老による示唆に富んだ回答をご紹介します。


第4回    参加者からの質疑応答


Q1    なぜ、生命は存在しているのでしょうか?    生命の存在の原因は、無明と渇愛なのでしょうか?

A1    起源はたどれません。無始なる過去から生命はつづいているのです。


■物質に依存する心

スマナサーラ    これは本当に膨大な質問で、答えが把握できない質問なんですね。答えたい気持ちもありますが、人間に理解できる範囲にならないんですよ。ブッタの言葉を聞いて、そこで理解するしかありません。
    ナーマ・ルーパで宇宙の存在を分けて考えると、仏教では電磁波のエネルギーと心の波長はかなり一緒に行動すると捉えます。物質には物質だけ独立することもできるし、心にも心だけ独立することはできます。しかし、「ここから命が発生しました」ということは、お釈迦様はけっして言えませんよとおっしゃいます。いくらたどって見ても、また先があるのだと。
    心は物質に依存することにしてしまったんですね。心には活動し続けるために刺激が必要なのです。その刺激は仏教用語でサンカーラといいますが、物質に依存して、物質をいじって物質から刺激を受けることにしているのです。
    たとえば、波は流れて消えてしまうでしょう?    バイオリンの弦を弓で弾いたら音が出て、それから消えます。あり続けるためには、ずっとエネルギーを出さなくてはいけません。心にずーっと波を起こすためにはエネルギーが必要です。エネルギーはいつも物質から、その物質と一体になって受けることになっているのです。
    我々がふつう「命」というのは物質の形になったときですね。心が刺激を求めて自分自身で身体という檻をつくって、檻の中に入った状態。それが我々俗世間で言う「命」です。物質の形になったら命の仕事範囲はすごく制限されます。たとえば我々の身体を構成している物質も、ミミズの身体を構成している物質も同じ、DNAです。しかし、ミミズがもつ物質の量と人間がもつ物質の量はまるで違います。心に仕事ができる範囲は物質の量によって変わりますから、ミミズにできることはたかが知れていて、人間にできることはものすごく膨大だという違いになります。しかし、そうはいっても人間もそんなにたいした存在ではありません。せいぜい生きても100年でしょう。そのくらいで物質が壊れてしまうんですね。