川本佳苗(仏教研究者、日本学術振興会特別研究員PD)

気鋭の仏教学者、川本佳苗さんの仏教エッセイ「ぶぶ漬けどうどすか?」の「WEBサンガジャパン」での全編再録シリーズ、いよいよ連載後半です。川本さんの、ほぼほぼ別人格(当社比)のスナンダ節にはそろそろ慣れてきましたでしょうか。4月からは待望の新連載がスタートします。皆様からの質問を募集しています。オンラインサンガにログインいただき、メッセージ欄に書き込んでください。フル会員は1か月5,000円ですが、ライト会員は2500円です。ライトでもすべての記事が読み放題ですので、どうぞこの機会にご入会下さい。1か月以内に記事を全部読んで、川本さんにも質問をして、ささっと退会するのが、いちばんお得かと思います。もちろんそのまま継続していただけたら何よりです。それでは、今なお色褪せぬガールズダンマトーク、テーラワーダ仏教の異界にようこそ!
※リンクなどは当時のものです。一部リンク切れになっていますが、ご了承ください。2025年2月現在、編集部で確認して切れているものは(編集部注:リンク切れです。m(__)m)を付しています。

第10回    質問コーナー「仏教的に許容される怒りはあるの?」


    こんにちは!    法名スナンダこと川本佳苗です。毎日暑いですね。ちょっと前に京都大学の吉田寮に、寮生が案内していただきました。現在、存続をめぐって訴訟中なので、建物は裁判所に押さえられているそうです。どうか残りますように。

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コロナウィルス禍のため部外者は入れませんでしたけど、映画のセットになりそうな味わい深さ!

■スナンダ流オンライン授業の奥義
 
    前回も書いたんですけど、私のオンライン授業は大好評だったんですよ。
「今まで受けた大学の授業の中で一番おもしろい」
「オンライン授業の形式として完成されている」
「一週間の癒しでした」
「初めて仏教をおもしろいと思った」
「今まで宗教の授業に笑いなど一切必要ないと思っていたが、先生の授業を聞いていると自然と笑いがこぼれる自分がいた」
「楽しく聞けて、自然と知識が頭に残っているので驚いています」
    などなど……。あ、「可愛い笑顔に癒されています」とも。きゃあ(^ω^)

    あのね、秘訣があるんです。
    それはね、ズバリ「笑い」です!    って答えると、
「ええ?    そこぉ?!」
    っていつも驚かれるんですけど(笑)。とにかく明るく元気なスナンダ・トークの炸裂でした。

    最初は私もオンライン授業をしたくなくて逃げ出したかったです。でもね、教員もイヤだけど学生はもっとイヤだろうって共感するように気持ちを転換したんです。だって、19~20歳なんて一番アクティブに過ごしたい年頃でしょ、なのにお外に出られないってきっとすごく苦痛だなって思って。しかも6畳とか8畳とかの狭いワンルームで、寝るのも食べるのも勉強するのも、ぜーんぶ済ませないといけない。外出できないのに!    これは苦痛だ!    って、どんどん学生の立場を想像するようにしたんです。

    だからこそ、私の授業は食事しながらとか、洗い物しながらとか、スマホを再生しっぱなしで楽しく聞き流せて、自然と仏教の知識も身についちゃう!    っていう内容にしたかったんです。トークも友達に話しかけるようにフレンドリーさを優先したので、あんまりアカデミックな講義ではなかったかもしれません。

    でも、それよりも私は学生の心を守りたかったんです。自宅で週に8~9コマとオンライン授業を取らないといけない中で、一つぐらいストレスなく聴けるお笑い担当の授業があってもいいんじゃない?    って思って、「よっしゃそれなら私が担当するわ!」って気持ちで頑張りました。

だから、学生から「今学期の授業の中で最も僕たちに寄り添ってくれた」という感想をもらったとき、やったあー私の意図は伝わっていた!    うーれーしーいーーーって泣けました。。。

 
■質問コーナー:「仏教的に許容される怒りはあるの?」
 
    はい、では「質問コーナー」です。今回は、大学院の後輩だった近藤丸くん通称こんさからです。めっちゃプライベートでもLINEしているのに、なぜかサンガ編集部に質問が送られてきました(笑)。

    2017年末のディーパンカラサヤレーの瞑想合宿にも召還したら、参加してくれたんですよ。

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お食事お布施中。なぜかこんさ一人だけカメラ目線
    こんさは永遠に私の心のサンドバッグなので、いつもこんなふうにいじられています。
「近藤丸」という名前で仏教マンガも描いています。「近藤丸」ツイッター:https://twitter.com/rinri_y

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質問:

    ぶぶ漬けどうどすか?いつも楽しく拝見しています。

    お釈迦様は、怒りということに関してどう言われているのでしょうか?    仕返しをしてはいけない、怒りを観察し鎮めなければいけないというのが、仏教の基本だと思いますし、悟りに至る為には当然必要なことだと思います。しかし、お釈迦様はあらゆる場合に怒りはいけないと言っているのでしょうか?    もしくは、怒りを許容したり、認めたりする場合もあるのでしょうか?    お釈迦様の教えの中には無くても、その後の仏教ではどう考えるか教えていただきたいです。

    というのは、最近、怒りの感情ってとても大切なものではないかと思うからです。コロナの問題に対する政府の対応には腹立たしさを感じます。しかし、一方で批判するなと言う声が聞かれますし、自分のなかにも怒れないというか、押さえてしまっているところがあると思うのです。しかし、今本当に必要なのは、おかしいことにちゃんと怒るという事だと感じます。現代人は教育の中で牙を抜かれてしまっているなと感じることが多々あります。

    また、怒りが大事なのではないかと思ったのは、あるツイートを読んだとき心が動いたからです。引用させていただくと、青箱石鹸@ao_soap
(編集部注:リンク切れです。m(__)m)という方のツイートなのですが、

「石田純一・東尾理子の長男のダウン症疑惑が囁かれた時に、掲示板の「産まなきゃいいのにw」と書き込みを見つけて、東京から北海道までその書き込みをした人を探してぶん殴りに行って逮捕された人ほど、己の正義感と行動力と実生活の折り合いがつかなかった人を知らない」(https://twitter.com/ao_soap/status/1251715173980626949)
(編集部注:リンク切れです。m(__)m)

    というツイートです。このツイートはかなりリツイートされているので川本さんも読まれたかもしれません。このツイートをした本人は、殴った人のことを批判的に書いていると思います。しかし、私は、この殴りに行った人にむしろ敬意を持ちます。許せない気持ちから、実際に殴りにいったという行為に自分はある種の救いを感じるのです。また、その気持ちを抱くのは僕だけではない気がします。

    もし、機会があればまた考えを聞かせていただければ有難いです。


お答え:

    コロナ禍の苦しい状況下で率直な気持ちをお話ししてくださったことが嬉しいです。石田純一さんに関するツイートは初めて知りました。教えてくださって有難うございます。

    怒りが新しいものを生み出す力や社会を動かす力になり得るかと聞かれると、事実そうだと思います。私は大学生の頃から思いついたことを「留記帳」に残していたのですけど、同じような考えを書き留めた記憶があります。不条理や不正に満ちている世の中だから、怒りたいときはたくさんありますよね。ピカソが戦争に対する憎悪を表現しなければ『ゲルニカ』は生まれなかったでしょう。民衆が怒りを爆発させなければフランス革命も起きなかったでしょう。

    それでも、仏教に帰依して五戒を守って生きる今となっては、あらゆる怒りは毒だと断言できます。やっぱり聖者は怒りをもっていません。ある物事に対して「これはおかしい」と問題提起したり客観的に疑問視したりするとき、絶対に怒りが必要かというとそうじゃないと思うんですよ。たとえば親が子どもに注意するときや、上司が部下のミスを指摘するときも、それ感情を交えずに冷静に伝えられるでしょって場合はありませんか?

    言及なさっていた、誹謗ツイートの投稿者を殴りに行った人が抱いた正義感は、たしかに素晴らしいと思います。私だって誹謗中傷は許せないです。でも、怒りと暴力を介さずに自分の主張を通すための、もっと他の効果的な方法を探ってもよかったとも思います。

    私は武道や格闘技が大好きなんですけど、って言うとめっちゃ驚かれるんですけど(笑)、実は元柔道部だし、テコンドーや中国武術も習っていたんですよ。団体競技だとチームワークやメンバーのミスで勝敗が左右されることもあるけど、一対一の勝負は完全に自分の能力次第だし自己責任だから好きなんです。あ、今はボクシングやっています!

    で、限られた対戦時間の中では、感情的になったら負けます。相手のペースに乗ってしまいやすいし、自分の体勢も崩れやすいからです。怒りや焦りは大敵です。極限までピンと気持ちを張りつめながらも冷静に戦略を進める必要があります。これは他の状況にも当てはまると思います。

    貧(とん;欲望)・瞋(じん;怒り)・癡(ち;迷い)は仏教の三毒であることは、ご存知ですよね。
    貧は「あのバッグ欲しい!」「あの人とラブラブになりたい!」っていう欲ですから、基本的に「陽」の性質で、明るい感情です。

    癡は、仏教の智慧がないために正しく判断できない「鈍い」状態です。ぽにょーん、とろーんと寝ぼけたような状態です。

    瞋はとにかく暗いです。「あいつキライ」「マジ殴りたい」ってふつふつと憎悪が沸きあがるとき、明るい感情でいられますか?    瞋の仲間には、怒りだけでなく悲しみや恐怖も含まれます。これらの感情は、ぜーんぶ暗いですよね。やだー超ネガティブぅー!    瞋が自分の心に生じているとき、陰陰滅滅とした毒が自分の中でダダ漏れになって自分自身を傷つけていると思ってください。自家製の猛毒を食らっていると思ってください。

    どの種類の怒りであっても、毒は毒です。仏教的には「正義の怒り」や「許される怒り」なんてないです。もちろん、われわれは凡夫なので怒りの感情が無くなっていません。ただ、怒りが心の中に生じたとき「これは怒りだ」「自分は今怒っている」と冷静に観察してみてください。そして今起きている怒り成分がどこからどこまで自分の中で発生しているのかという状況を把握してみてください。

    何かを問題視して、それを「正しくない」「間違っている」と思うから、怒ると思うんです。あいつのあの態度はなんだ!    って怒るとき、その態度を「正しくない」と思うわけでしょ。怒りという感情がどういうものかををしっかり把握することは大切です。その上で、問題点から怒りを切り離して解決できる方法を探ってみることができるはずです。

    コロナウィルスの対応については、PCR検査賛成派と疑問視派、マスク必須派と不要派、ソーシャルディスタンス派とさっさと集団免疫しようぜ派といったように、いろーんな意見が玉石混交している状態です。最終的にどの説が正しかったかを証明できるのは、10年後ぐらいじゃないでしょうか?    なので、現時点ではいろんな人が事実かどうか分からないことを「正義」だと考えて、反対意見の人に対し怒っている状態なのかなと思います。

    はい、今回はこんなところでおしまいです。

    他にも、これまでの連載についての質問や、私に質問したいこと、ミャンマー仏教で知りたいこと、連載で取り上げてほしいこと、感想などがございましたら、メールアドレス[info@samgha.co.jp]宛に件名「ぶぶ漬け」と書いて送ってくださいね!
(編集部注:上記メールアドレスは現在使われていません。2025年4月開始の新連載のための質問をオンラインサンガで募集中です! 記事の末尾をご覧ください)

    慈悲をこめて、

スナンダこと川本佳苗



第9回    「島影社長への哀悼と質問コーナー〈出家とパートナーシップ〉」
第11回    質問コーナー改め「スナンダに聞いとくれやす~」──お題は「仏教とベジタリアン生活(菜食主義)」



【編集部より】
2025年4月から新連載「(帰ってきた)ぶぶ漬けどうどすか?」(仮題)が始まります!
オンラインサンガ会員の皆さんから川本佳苗先生への質問を募集します。適宜、連載の中で取り上げさせていただきます。
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皆様の質問をお待ちしております!!