藤本晃 (誓教寺住職・『ブッダの実践心理学』共著者)
ただいまサンガ新社では、スマナサーラ長老の名著『ブッダの実践心理学』復刊に向けたクラウドファンディングを実施しています(2025年12月31日まで)。
そこで今回、『ブッダの実践心理学』の魅力と学ぶ意義をあらためてご紹介するために、シリーズ共著者である藤本晃先生に入門的な解説をお願いしました。
『ブッダの実践心理学』第三巻「心(心の中身)の分析」は、私たちの心に日々生まれる感情や反応の仕組みを解き明かします。ものごとを「認識する」だけのはずの心が、なぜ怒りや欲、あるいは慈しみや智慧へと変化していくのか。その要素となる「心所(しんじょ)」を整理していきます。
第三巻 心所(心の中身)の分析
■認識は中立ではない
心の「認識するはたらき」だけに注目すれば、そのはたらきは人畜無害のはずです。しかし実際には、前巻「心の分析」で学んだように、心には地獄から禅定、そして悟りまで、さまざまなレベルがあります。「認識する」心のどのようなはたらきが、心に天と地ほどの違いを生むのでしょうか。
心が一瞬ごとに生じて認識するとき、心は「認識する」だけに留まることができません。認識対象に欲を出したり怒りを感じたり恐れたり、逆に慈しみの気持ちや智慧が生まれたりします。その気持ちを、次の瞬間に生まれる心で増幅したり切り替えたりするかもしれません。新たな対象に接して新たな感情も生まれます。同じ対象を認識しても、それを心が「どのように」認識しているのかという違いが、生命を地獄にも解脱にも導きます。
■ 心と同時に生じるもの
お釈迦様が折に触れ語っていた「どのように」認識するのかという心に必然的に伴うさまざまな要素を、アビダンマ論師たちは、「心のもの」というニュアンスで「心所」と名づけました。そしてお釈迦様の言葉を分類して、七種類で五十二項目の「心所」にまとめてみせました。五十二という項目の内容はピッタリと言えるかどうか分かりませんが、工夫して七種類に分類したことで、それぞれの心所の特徴がより明確になっています。
まず、心所の定義をします。「心所は心と同じく生じ、同じく滅し、同じ対象を認識し、同じ土台に生じます」と。同じく、とは、同時にということです。同じ土台とは、右手が痛いと感じたら、そのとき、認識する心も、痛いと感じる心所も、その右手に生じているということです。要するに、心と心所を切り離すことはできないのです。「認識する」という心のはたらきに、「どのように」認識するかという要素が必ずセットで現れるのです。ですから、悟りを目指すためには、あるいは最低限、社会で成功するためには、悪い心所を起こさずに良い心所だけを起こすようにいつも頑張らなければなりません。
■善悪を分ける心所のはたらき
そもそも心所の分析は、心と必ずいつもセットで生じる七つの心所チームの説明から始まります。触、受、想、思、一境性、命根、作意の七つです。この七つの心所がセットで生じないと、心は何も認識しません。当たり前ですね。何か対象に触れて感じて(受)感じたものを過去の経験と照らし(想)、それに対する反応(意思や作意)が、何かを「認識した」ということなのです。そのとき心所と心は同じ対象(一境性)に対して生まれるエネルギー(命根)で生まれています。
もちろん、心には、貪瞋痴などの不善の気持ち「不善心所」が入ることがあります。善の気持ち「善心所」が入ることがあります。善心所の中でも特別に素晴らしい慈悲喜捨や智慧の心所が入ることがあります。五十二の項目の違いだけでなく、それぞれの心所の強さの差、特に精進や意欲の強弱によって、善や悪の心の強さに差が生じます。
各人のその時々の気持ちの違い、善悪の心の違いは、誰でもなんとなく心のあり方としては感じることができます。しかしどうして心に善悪が生まれるのか、どうして悟りへの智慧が生まれるのか、そのような心が生まれる構造はどうなっているのか、とても理解できるものではありません。それさえもお釈迦様が明らかにし、アビダンマ論師たちがまとめてくれました。スマナサーラ長老の現代日本に即した解説で、私たちも、まず心の構造を理解してみませんか。
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スマナサーラ長老『ブッダの実践心理学』を紙書籍で復刊します![第一巻〜第三巻]



