アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「未来はわからないのになぜ人間は約束をしたがるのか」です。


[Q]

    結婚式で神に永遠の愛を誓うのに、離婚した時には神に謝る人はいません。人間って平気で約束を破るのに、誓ったりするのが好きですよね。なぜですか?

[A]

■真理がわからないから「約束」する

    当たり前の話ですよ。その時はその気持ちだからです。「しっかりやると誓います」とか言って、相手に落ち着いてもらうためです。私たちは状況によって自分の反応を変えなければいけないのです。瞬間ごとに変化するそれこそが事実であって、「約束を守る」というのは、あまり事実になりません。自然の流れの中で誓った約束が守れなくなることなどしょっちゅうです。
    私たちが気安く約束したり誓ったりするのは、真理がわからないからです。例えば「1年でお金を返します」と、借用書にハンコを捺したり、保証人を立てたりします。しかしこれは、1年先まで健康に生きていられればの話でしょう?    本当は1分先もどうなるか分からないのに……。「全ては無常である」ということを無視しない限り約束はできません。誓いを立てた瞬間、その人は真理に逆らっていることになります。「約束を破ってしまった」ということは、状況に合わせた反応をしていることなので、つまり真理に従っていることなのです。
    だから仏教ではそんなことは気にしません。人間はその場でその場で反応して生きているものですよ。一瞬先もわからないのに「10年後に○○するぞ」ということは成り立たないのです。
    結婚式は一番いい例でしょう。〝永遠の愛〟なんて実際には成り立ちませんよ。その日その日で人の心は変わるのだから。身体も変わってしまいます。キリスト教を信じてもいない日本人が教会で結婚式を挙げるのは面白い話ですね。牧師さんや神父さんも不信心者の結婚式で堂々と商売しているのです。遊びと思えばどうでもいいことです。
    もちろん、わざと約束を破る人は信頼されません。嘘をついているのですからね。仏教徒がする「誓願」にしても、条件が変わってしまったら結果はわかりません。例えば、「親に家を建ててあげる」と誓願したとしましょう。子供は一生懸命に仕事をしてお金を貯める。でも、親が突然死んでしまうかもしれませんし、重い病気になって、治療費でお金が無くなることもある。例え誓願しても上手くいくがどうかはわからないのです。しかし、誓願した人は、着々とその目的を目指して歩むのです。


■出典     『それならブッダにきいてみよう:人間関係編』 

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