プラユキ・ナラテボー
タイ・スカトー寺副住職で瞑想指導者としても著名なプラユキ・ナラテボー師による、コロナ禍の息苦しさを目覚めの機会に転換するダンマトーク。

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不自由さの中にこそ自由に生きる秘訣があると説くプラユキ師

第7回    変えられるものを変え、変えられないものを受け入れる


●自らの主となる

進行(ライター 森竹ひろこ)   最終回です。「今が正念場だ」と私たちを鼓舞するツイートを紹介させてください。

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プラユキ    これは今日(全7回)の話のまとめにもなると思います。今は思うようにならない状況で、それを苦しみとして溺れて喘ぐのも一つのあり方ですが、「苦」をありのままの真理とみなして、それを受け止めることで本当の自由を得ていくことも可能です。
    これは生き方全般に関わることですが、私たちが本当に自由になれるかなれないかは、起こった様々な出来事や誰かの言葉に問題の原因を帰するか、それとも、すべては自分自身の心次第だとみなせるかどうかにあります。
    一般的には外的な束縛や拘束がなく、勝手気ままに振る舞えるのが自由だと言われていますよね。でも仏教ではより内面に焦点を当て、外界で起こった出来事に動揺して不安や絶望感に苛まれたり、誰かの心ない暴言に対して怒ってしまうことは自由な状態ではなく、更に「やられたらやり返せ!」と仕返しをするのは、心の奴隷になっているとみなします。仏教で言う自由とは、心の主人となって、外界あるいは内面に生じてくるあらゆる現象を生かすことができ、自他の抜苦与楽(ばっくよらく)を生きられることです。