チャディ・メン・タン (SIY創設者・著者・社会活動家)

宗隆フォラル(禅僧)

〔ナビゲーター〕
木蔵(ぼくら)シャフェ君子
荻野淳也


2021年のWisdom2.0で行われたチャディ・メン・タンさんと宗隆フォラルさんの対談をお届けします。
チャディ・メン・タンさんはマインドフルネスの火付け役となった「Search Inside Yourself (SIY)」プログラムと同名の書籍を、Googleトップエンジニア時代に世に出し、世界中でベストセラーとなりました。また、メンさんが共同創設者として立ち上げた平和活動のためのNPOは、ノーベル平和賞候補に8回ノミネートされています。
宗隆フォラルさんは10代で日本に渡り臨済宗曹源寺にて出家。その後、中国やインドで修行を重ねられ、2008年よりアメリカ・バーモント州で社会活動と若者のエンパワメントのために修行道場Monastic Academyを創設されました。次世代のリーダーを多数輩出されており、いま最も注目されている精神的指導者の一人です。
苦難を乗り越えて、今は喜びと共に人生を歩んでいるお二人から、「喜び(joy)」「叡智(wisdom)」「思いやり(compassion)」をキーワードに、幸福な人生を歩むコツ、そして幸福な世界を作るために私たちにできることを学びます。


第1回    チャディ・メン・タン氏講演「仏教という新たな希望」


■希望=喜び+叡智+思いやり

木蔵    皆さん、こんにちは。本日はチャディ・メン・タンさんと宗隆フォラルさんにお越しいただいています。メンさんは昨年のWisdom2.0でもご講演いただきました。世界的ベストセラー『サーチ・インサイド・ユアセルフ』でも皆さんにおなじみの存在かと思います。
    メンさんは長年、悟りについて研究をされてきました。悟りとは何なのか。私たちが悟ることによって世界は平和になるのか。そういったことに興味を持たれて、実際に悟った経験を持つ人に話を聞いてみようと、たくさんの方に声を掛けられたそうです。その際に多くの方から、「メンさん、この人とぜひ話してみるといいですよ」と紹介を受けたのが宗隆フォラルさんだったといいます。
    宗隆さんは、生まれ故郷のアメリカを18歳で離れられて、日本をはじめ、さまざまな国で仏教や人の苦しみを救うための勉強と実践をなさってこられました。メンさんと宗隆さんは「仏教の叡智をもって世界の平和を実現したい」「人々の苦しみを少しでもなくしていきたい」という同じ思いをお持ちで、2022年には共著で書籍も刊行される予定です。
    今日は「新たな希望」というテーマで、お二人にお話をしていただきます。
    宗隆さんは、日本の方に向けてお話をしていただくのはおそらく今回が初めてではないかと思います。
    では、まずはメンさんのほうからよろしくお願いいたします。

メン    ご紹介ありがとうございます。皆さん、こんにちは。今日はここに集っていただき本当にありがとうございます。

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チャディ・メン・タンさん
    今日のテーマは「希望」です。大きなテーマですよね。
    皆さん希望とは何だと思いますか?    私は希望とは3つの要素から成り立っていると思っています。
    それは、「叡智(wisdom)」と「喜び(joy)」、そして「思いやり(compassion)」です。
    叡智とは、苦しみについて理解すること。そして苦しみを理解することによって、自分たちがその苦しみから自由になる能力を得ることです。
    たとえ話を一つ。仮に今、あなたの頭が痛いとしましょう。自分で壁に頭を思いっきりゴンゴンぶつけていて頭が痛いとします。こんな状況でも、もしあなたに叡智があれば、次の4段階のプロセスを経て、痛み・苦しみをなくすことができます。

●ステップ1
    自分の体にマインドフルな意識を向けることによって、壁にぶつかるたびに生まれている頭の痛みを認識できる。

●ステップ2
    自分の行動をマインドフルな意識で観察することによって、「自分自身が壁に頭をぶつけているから痛いのだ」とわかる(痛みの理由を認識する)。

●ステップ3
    より鋭くマインドフルネスを実践することで、痛みを感じていない瞬間もあると認識できる。

●ステップ4
    どうすればその痛みが止められるかがわかって、壁に頭をぶつける行為をやめることができる。

    変なたとえ話だったかもしれませんが、苦しみをどうやって終わらせていくかという一つの例として受け取っていただければと思います。
    このように、叡智によって苦しみは終わらせることができるのです。


■静かに苦しんでいる

メン    私はご覧の通りアジア系です。アジア系というと、勤勉で、しっかり働くことで成功しようとする、そういうイメージがあると思います。私自身もそのイメージの通りです。
    しかしもう一つ、あまり知られていないアジア系の特徴があります。それは「とても静かに苦しんでいる」、そして「一人で孤独に苦しんでいる」「他の人から自分の持っている苦しみを隠している」ということです。
    私も昔はサクセスストーリーを夢見ていました。しかし、それに反して長い間、私は満たされておらず、全然幸せではありませんでした。10代の頃は自殺も考えていたほどです。
    しかし、21歳のときのある出会いから、人生が変わりました。
    1991年の9月のことです。チベット人の尼僧の方のお話の会に参加させていただいて、「心を育むとはどういうことか」についてのお話をうかがいました。自分の苦しみを解決するためには、自分の外の世界を変えるのではなく自分の内面を変える必要がある。そのことを教えていただいた瞬間、私は霧が晴れたかのように生きる意味が見えてきました。この瞬間から、私は仏教徒になりました。それ以降、仏教徒になったことを後悔したことは一度もありません。自分にとってベストな選択だったと思っています。


■心は本来、喜びに満ちている

メン    私はマインドフルネスや瞑想に取り組むようになりました。最初は瞑想すると体が痛くなったりしてとても大変だったのですが、だんだんとリラックスした状態でできるようになっていきました。
    あるとき、とてもリラックスした状態で瞑想していると、本当に穏やかな喜び(joy)が自分の中に生まれてくるのを感じました。それは私の心と体を包むような喜びで、約30分間続きました。
    後でわかったのは、それは別に魔法でもなんでもなかったということです。心の興奮状態がはがれて、本来の心の状態に戻った。ただそれだけの本当にシンプルな体験でした。心は本来、喜びに満ちているのですよね。でもそのシンプルな体験が、私の人生を変えることになりました。
    瞑想を続けていくうちに、私はだんだんといつでも心の中の穏やかな喜びにアクセスできるようになりました。筋トレを続けていくうちに、徐々に重いものを持ち上げることができるようになるのと同じです。


■他者のために何かをするとき喜びはもっとも大きくなる

メン    喜びがもっとも大きくなるのは他者のために何かをするときです。誰かのために働きたいという要求、それが思いやり(compassion)です。叡智(wisdom)、喜び(joy)、思いやり(compassion)。この3つがそろったとき、そこに希望が生まれます。
    もし皆さんがかつての私のように希望を見いだせないでいるなら、叡智、喜び、思いやりを探究してください。それが希望へとつながっていきます。


■希望が普遍的であるために

メン    希望は普遍的でなければなりません。希望が一部の人々にしか与えられず、他の人には与えられないとしたらあまり役に立ちませんね。
    希望が普遍的であるためには3つの要素が必要です。

    ① 宗教的な教義を必要としないこと。
    ② 誰もが実践できること。
    ③ 現代科学と対立しないこと。

    仏教はまさに3つの要素を備えています。ですから、仏教は「新しい希望」なのです。
    私は残りの人生を賭けて、この新しい希望について、世界中の人が理解して実践できるものにしたいと思っています。


■仏教は非宗教的であり宗教的でもある

──仏教は宗教的な教義ではないのでしょうか。西洋では仏教は哲学というふうに考えられているかもしれませんが、日本では仏教は宗教だと捉えられています。

メン    仏教は誰にでも実践できます。苦しみの原因を理解して、そしてそれをどうやって解決しようかと考える。これは誰にでもできることですし、日頃から誰もがやっていることですよね。また、ブッダが説いた体の感覚を観察する瞑想や呼吸瞑想も、誰にでもできます。
    それと同時に、仏教には宗教的な要素もあります。たとえば仏教はお葬式で使われたりしますね。
    つまり仏教は非宗教的なものでありながら、ちょっとスイッチを入れると宗教的なものにもなり、またオフにすると非宗教的なものになるのです。
    私と宗隆さんで一緒に書き進めている本(2022年刊行予定)にも、仏教の非宗教的な面と宗教的な面の両方の話を組み込んでいます。仏教の非宗教的な面が役に立つと思う方も、宗教的な面が役立つと思う方もぜひ読んでみてください。何も隠していることはありません。

木蔵    メンさんと以前この件について、少しお話したことがあります。叡智に関してはローマ哲学やギリシャ哲学でも仏教と共通することがあると。その伝え方や展開の仕方についてメンさんは仏教を高く評価しているという理解だったのですが、いかがでしょうか。
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メン    2021年はオリンピックイヤーでした。オリンピックはもともと宗教行事で、神の前で競技するという宗教的な側面を持っています。でも私たちは非宗教的な面だけを受けとって、参加したり見て楽しんだりしていますよね。仏教もそれと同じです。

(つづく)


2021年10月3日    Wisdom2.0Japan    オンラインセッション
構成    中田亜希



第2回    宗隆・フォラル師講演「苦しみの終わりを実現する」