【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「結婚生活を円満に送るコツ」についてです。
[Q]
もうすぐ結婚するのですが、夫婦が幸せであるために何かお言葉をいただけたらと思います。
[A]
■わがままを捨てましょう
結婚とはとどのつまり「わがままを捨てること」です。結婚したらもう、自分勝手には生きていられなくなるわけで、そんなにおめでたいことでもありません。好き勝手に、楽々と自由な生き方ができなくなるわけですから、ある面ではすごく不幸な出来事ですね。
しかし、結婚を「自分のわがままを直すきっかけ」という気持ちで受け入れるならば修行になります。「自分勝手な生き方は終了しました。これからは人の意見や気持ちも、相手の要求(ニーズ)も理解しなくてはいけない。どちらかというと、相手のニーズを優先しなくてはいけない。私のことは措いておけばいいや」という感じで、自我を捨てる気持ちで生きれば全然問題はありません。そんな程度で充分だと思います。自我を捨てることで幸せになれると思います。
「結婚」という言葉自体、「むすぶ(結)」という漢字が入っているから、自由が無いという意味でしょう。むすぶとは「関係を作る、コネクションを作る」ことですから。意図的に、喜んで自分の自由を捨てる行為が結婚なのです。
■生命は自由を欲する/生きるためにしがらみを作る
喜んで結婚するのだから、本当ならば夫婦は誰だって上手くいくはずでしょう。結婚したいから結婚したでしょうに。社会も結婚しなさいと背中を押している。社会的にも、結婚して生活する方が正しいし一人前だと認めているでしょう。だったら夫婦は上手くいくはずです。なぜ皆が認めていることにも関わらず、結婚は上手くいかないのでしょうか?
その答えは「生命は本来、自由を欲している」からです。自由という求めるものが基本にあって、しかし生きる延びるためにいろいろなコネを作る必要がある。結婚はそのひとつです。そこで矛盾にぶつかって対立が生まれるのです。例えば、会社に入った人が職場で上手くいかなくなる。会社に入るとは自分の自由を失うという事です。そこで本来、自由に生きていたいという隠れた精神と、会社の就業規則などが対立を起こすのです。当然、苦しくなります。しかし、自由を捨てるという「苦」を受け入れない限り生きていられません。この矛盾を理解した方がいいと思います。
自我が割り込むと、隠れていた「自由になりたい」という精神がおかしな働きをします。しかし、私たちがイメージ・思考する自由とは、自我の産物でただのわがままなのです。これは本物の自由ではありません。わがままがもたらすものは自己破壊です。自己破壊と自由になりたい気持ちとは同じものではありませんね。誰もが自由になりたいと思ってやっているのは、わがままを張ることなのです。それは自由という幸福をもたらすどころか、自己破壊に結びつく危険な行為です。
■本物の自由は誰にも奪えない
結婚する人は、わがままにサヨウナラと言わなければいけません。そうすれば、結婚したからといって自由を失うことはありません。なぜならば、本来の自由とは結婚とか、ちょっとした変化で無くなるものではないからです。本物の自由は誰にも奪うことができません。私はわかりやすく「人の尊厳」「生きる権利」という言葉で説明しています。結婚したからといって生きる権利は奪われないでしょう。結婚してからも、自分の命の尊厳も、他人の命の尊厳も、大事に守らなくてはいけないのです。
わがままは自由ではなく、徐々に自己破壊していく道です。わがままな人は社会も認めません。攻撃して潰そうとします。社会全体的に、生命全体的に、わがままな生命を攻撃して潰そうとするのです。本人は自由だと勘違いしているけれど、それは自由ではありません。結局は余計に敵対的な関係を作るだけになります。周囲がすべて敵になってしまい、もう生きていられません。
ですから、結婚生活ではいつでも自我を措いて、自分の好みではなく、相手のこと・ニーズも考えて生きなくてはいけないことを理解すれば、日々、幸せを感じられるはずです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:ライフハック編』