アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日テーマは「仏教は、社会に関心がないのか」です。

[Q]

    仏教は、社会に関心はないのですか?

[A]

    仏教は、一人ひとりの心の改革による社会改革論を語っています。ジャータカ物語に小さなエピソードがあります。ある祭りの日のこと、四人の神々が天国にある花で作った花飾りを頭につけて、地上に現れました。その花飾りからあまりにも芳(かぐわ)しい香りが漂うので、町中のみんなが気づきました。見つかった神たちは空に上がって、「われわれは祭りを見るために天国から来ました」と言いました。人々は、「そのとても良い香りのする花をください」と頼みました。すると神は「この花を使う人には特別な条件があります。その条件というのは、けっして嘘をつかないこと。けっして違法なことで金儲けをしないこと。詐欺をはたらかないこと。お金があっても、一人でご馳走を食べないことです」と言ったのです。神に認定されて、花飾りを頭につけてもらったら、それこそ人間の間でリーダーになったことでしょう(西洋では王は神に選ばれた人だという迷信があります。西洋だけではなく、どんな国の王も調子に乗って自分が神に選ばれたと思っているようです)。
    この物語では、あまりにも美しい天国の髪飾りが欲しくて、人々は自己アピールをしたのです。「私は一生嘘をついたことがない」「私は自分の富をみなに分けてあげて使っている」などなどと言ったのです。そこで神は、その人の頭に飾りをつけました。するとその人は耐えがたい苦痛に陥って、泣き叫びました。しかしその髪飾りを外すことはできなかったのです。大きな声で「私は嘘をつきました。なんの道徳も守りませんでした。許してください」と謝ると、神は髪飾りを外してあげました。それから人間に道徳を守るよう厳しく戒めたのです。「神の髪飾りをもらって王になりたければ、王になって国民を管理したいと思うならば、道徳を守らなくてはいけない」という戒めでした。
    仏教が言わんとするところは、表面的な社会改革は成り立たないということです。人間の心が汚れているから社会は壊れてしまうのです。よい公平な社会を築きたければ心の汚れをなくすことが先決です。貪瞋痴(とんじんち)で心が汚れたままで、よい社会を作れません。
    しかし仏教は社会の問題に鈍感でも無関心でもありません。できる範囲で平等な社会を作ろうとアドバイスをするのです。お釈迦様の時代から現在の民主制度が確立するまで世界は王制でした。王というのは独裁者です。仏教には王制を変えることはできません。たとえ悪い独裁者を追い出しても、その代わりに別な人が王にならなくてはいけない。そこでお釈迦様は社会改革ではなく、正しい王とはどんな人かと説いたのです。国民をわが子だと愛すること、人間だけではなく国の動植物すべてを守ること、国民がそれぞれの能力に合わせた仕事ができるように環境を作ること、国民が経済的に独立できること、道徳を重んじること、いかなる宗教でも守ってあげること、賢者のアドバイスを受けること、高慢でないこと、女性を強引に宮殿に入れないこと、などなどを説いたのです。
    この教えは選挙制度の国家であっても通じると思います。選挙で選ばれても、違法的なことをしたり、権力を誤って使ったり、国民の経済状況を無視したりすると、その政府は話にならないのです。仏教の社会改革方法というのは、正しい政治論を語って教えてあげることです。宗教家の仕事は一般人に正しい生き方を教えることだとしているのです。



■出典    『ブッダの質問箱』