(作家)
幸福について/ what belongs to me.(Randy Taguchi)
「幸福について」書くなんて、かなり照れる。ひゃー!だ。誰にとっても「良きもの」について書くのは苦手だ。詐欺師のような気分になる。「幸福」を偉そうに語る奴って、なんだかうさん臭くないか?
まずは、幸福という言葉、と、幸福そのものを分けてみた。
幸福という言葉について考えてみる。
この言葉が使われる時ってさ、なんとなく不幸が前提になっていないか?
幸福は「幸福という状態」を示す言葉だと思うのだが、もし、すべての人間が幸福であった場合、それは水と魚の喩えのように、幸福は意識されないよね。
なので、幸福ではない状態の人たちがいることを前提に、幸福という言葉によって幸福な状態を希求するのが「幸福という言葉」だと思う。で、この言葉を使う人はあんがいと自分は幸福だと思っているのではないか。自分に比べると不幸な人が多いなあと感じているから幸福って大事だよね、ってなるのでは? 正直に言う。私はそうだ。
だから私は、幸福について語る言葉に混じるうっすらした優越感が苦手だ。私は、幸福という言葉をふだんあまり使わない。それは、私は(◎◎より)幸福だな、という妙な優越感と罪悪感が混じってきて居心地が悪いからだ。