山下良道(鎌倉一法庵)

山下良道師の師であり禅の修行道場である安泰寺の第六代住職の内山興正老師の哲学を紐解きながら、現代日本仏教の変遷をその変革の当事者としての視線から綴る同時代仏教エッセイ。「もうひとつの部屋」をめぐるシーズン5の第4回。


第4話    禅定に入ってからのパオ・メソッドの階梯①


■4年のミャンマー修行の後のこと

     私は只管打坐とマインドフルネスの間の原理的な矛盾のなかで、文字通り七転八倒しました。その解決がもしかしたら「禅定」にあるのではと直観して、パオ・セヤドーに瞑想指導を受けながら、第一禅定、第二禅定と順番に入って行くなかで、もうひとつの部屋があって、そこにはもう一人の自分がいることを発見しました。瞑想が進むにつれて、だんだん確信になってゆきましたが、疑いが一切なくなるにはパオ・メソッドの最終段階まで待つ必要がありました。その過程を今回と次回の2回にわたって取り上げます。

    私自身、もうひとつの部屋のもう一人の発見とその確信は、ミャンマー滞在の4年間で一応完結したのですが、そのことの「意味」を納得するのには、とても4年では足りませんでした。瞑想を深めるのに時間が必要だったというわけではなく、それよりも、もう一人の自分がいるとは、いったい全体どういうことなのか?    それを把握するのに時間がかかったということです。意味を知るには、少し場所を変えようと思い、まずはスリランカに行ってみました。パオ・セヤドーとも結びつきの深い、ナウヤナ森林僧院のアーリヤダンマ大長老のところです。スリランカは、仏教がインドから初めて伝わった場所なので、その当時の遺跡がいたるところに残ってます。古代の比丘達の沐浴場もそのまま残っていて、スリランカの比丘たちと一緒に私も沐浴すると、一気に二千年前に飛びました。半年あまりの滞在でしたが、しっかりと仏教の伝統と繋がったあと、インドにゆきました。パオで知り合った韓国の友人僧の巡礼団と一緒に仏跡を回るためです。このように動いたのは、自分がいま発見しつつある「もうひとつの部屋のもう一人」は、果たして仏教の伝統において何にあたるのかを確かめたかったのです。