〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
河口智賢(山梨県耕雲院)
倉島隆行(三重県四天王寺)
平間遊心

慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第7回は、曹洞宗の河口智賢さん(耕雲院)と倉島隆行さん(四天王寺)、そしてスペシャルゲストの平間遊心さんをお迎えしてお送りします。
伝統あるお寺に生まれた河口さんと倉島さん、そして一般家庭で生まれ育ち出家された平間さんという御三方から、曹洞宗の流れと道元禅師の強烈な個性との複雑な関係について幅広く学んでいきます。教科書だけではなかなか学べない絶妙な面白さにぜひ触れてみてください。禅はやはり頭だけの理解だけではなく実践が大切なようです。

(1)僕たちがお坊さんになったわけ


■スペシャルゲスト登場

前野    皆さん、こんにちは。「お坊さん、教えて!」も7回目。ついに禅宗。曹洞宗です。司会は慶應義塾大学の前野隆司です。

安藤    多摩美術大学の安藤と申します。私は折口信夫(おりくちしのぶ)がもともと専門なのですが、その関係でまた最近、鈴木大拙を読んでいましたら、大拙は、なんとか道元について書こうとしたけれども、とうとう書けなかったという話が出てきました。
    大拙は日本的霊性(にほんてきれいせい)について語っているのですが、道元禅師は「霊性(れいしょう)というのは紛い物(まがいもの)である」と、大拙の生まれる何百年も前に実に大拙批判、「霊性」批判をしておりまして、今日はそのあたりについても皆さんからの率直なご意見を伺えればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

前野    今日はなんとお坊さんが3名もいらっしゃっています。まずは倉島さん、よろしくお願いいたします。

倉島    三重県津市の四天王寺で54代目の住職をしております倉島です。四天王寺というと大阪の四天王寺が有名なのですけども、実は三重県にも四天王寺がございまして、そこの住職をしております。
    今は曹洞宗のお寺なのですが、もともとは聖徳太子の建立です。法相宗、天台宗、曹洞宗と宗派を変えながら現在まで脈々とつながってきました。今日はよろしくお願いいたします。

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倉島隆行さん(写真提供=倉島隆行)
前野    そしてお二人目は河口さんです。

河口    皆さん、こんばんは。私は山梨県都留市の耕雲院で副住職をしております河口智賢(かわぐちちけん)と申します。耕雲院で副住職をさせていただきながら、お寺の原点回帰を目指すような寺子屋の取り組みをしたり、地元の若い方々と一緒にお寺で子ども食堂を開いたり、坐禅会を開催したりしております。
    最近はコロナ禍ということでオンライン坐禅会も始めておりますが、世界中の方とつながる機会をいただいて、あらためて禅の魅力を感じさせていただいております。今日はそのようなところを皆様とお話できたらと思います。よろしくお願いいたします。
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河口智賢さん(写真提供=河口智賢)
前野    ありがとうございます。そして3人目は平間遊心さんです。よろしくお願いいたします。

平間    曹洞宗僧侶の平間遊心と申します。なんの肩書きもない私が、お二人の大先輩方と一緒に画面に登場させていただくのは恐縮なのですが、私は普段はネット上での活動を主にやっておりまして、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、「仏教のアレ」( https://buddhismare.net/ )というサイトを運営しております。そちらを通じて、坐禅や瞑想について説明をしたり、坐禅実践者や瞑想実践者の方からの相談を受けたり、というような活動をしています。
    今日は倉島さんとのご縁でゲリラ的に参加させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
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「仏教のアレ」を運営されている平間遊心さん(右)(写真提供=平間遊心)
前野    よろしくお願いいたします。倉島さんと河口さんはお寺で住職、副住職をなさっていますけれども、曹洞宗というものを多面的に語るためには自由にいろいろな活動をされている平間さんもいらしたほうがいいのではないか、ということで若い30歳の平間さんに来ていただくことになりました。
    倉島さん、河口さんと平間さんの立場の違いも含めて聞いている皆さんには楽しんでいただきつつ、曹洞宗というものを理解していただけたらと思っております。


■伝統あるお寺に生まれて

前野    「お坊さん、教えて!」ではいつも最初にお坊さんになるまでの生い立ちをお聞きしています。今日も皆さんにお聞きしたいと思いますが、まず倉島さんは聖徳太子が建立されたという、ものすごい伝統のあるお寺のお生まれになったのですね。

倉島    はい、私は四天王寺の長男として生まれまして、生まれたときから仏様に手を合わせるのが自然な環境で育ちました。お寺の隣にある四天王幼稚園に通い始めた3歳の頃から、厳しかった祖父に坐禅指導も受けておりまして、なんだか一般のおうちではないなというのを小さいながらに感じていました。
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3歳の倉島さん(写真提供=倉島隆行)
    そしてよくわからないうちに得度式がございました。得度式というのは突然師匠となった父から「髪を剃ってもいいか」「これから仏門に入る覚悟はあるのか」ということを問われるのですけれども、「儀式なのでとりあえず3回『はい』と言えば終わるから」と言われて、手を合わせながら「はい」と言ったら頭が剃られて、そして着物を着せられて、いつの間にかお坊さんになっておりました。
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得度式で手を合わせる倉島さん(写真提供=倉島隆行)
    それからお寺を修行道場に見立てて行う法戦式(ほっせんしき)、その後に晋山式(しんさんしき)という、住職になる行事を経て今に至ります。
    小さい頃には警察官になりたいとか、他の夢や考えも少しはありましたが、これだけたくさんの通過儀礼を経ますと「あ、自分もやはり永平寺で修行をして四天王寺の跡を継ぐんだな。54代目に自分が就任するんだな」という気持ちがだんだん芽生えてきました。
    永平寺で修行をした後はフランスやドイツまで参禅に行きまして、諸国を行脚しながら最終的に三重の地に落ち着いて、現在はいろいろな青年会の活動などもさせていただいております。すべてがご縁で、今に至っているという気がしております。


■覚悟を決めることのできた得度式

前野    得度式というのは何歳のときだったのですか?

倉島    小学6年生ですね。

前野    早いですね。まだお坊さんになるかどうかもわからないけれども「はいはいはい」と3回答えたと。

倉島    そうです。得度式のとき、横にお檀家さんのご夫婦がいらっしゃったので、私はてっきりお寺を出て一般家庭のそちらのほうに行くのかな、親が変わるのかなと思っていたのですが、得度式はそのご夫婦の元から離れてこれから仏門に入るというものだったのです。
    祖父からは、「いいか、これからお父さんじゃなくて師匠と呼びなさい。母親にも敬意を持って接するように」と気合いの入った口調で言われました。「敬礼をしなさい」と言われたので敬礼をしながら祖父の言葉を聞いておりましたけれども、家族関係が急にお寺バージョンに変わったのを今でも鮮明に覚えております。

前野    それはショックじゃなかったんですか?    まだ6年生ですよね。

倉島    それはもうショックで、全身を雷で打たれたような衝撃がありました。ただ、今となってはとてもありがたかったなと思っております。
    得度式も早ければ住職になるのも早かったのですが、すべて師匠の言う通りに動いているなという気がいたします。

前野    そういうふうにレールを敷かれると、「自由に生きたい」「警察官になりたかったのに」といった反発が起きそうですけれども、それはなかったのですか?

倉島    私は小さい頃からお檀家さんに非常に温かい応援をずっといただいておりました。お檀家さんがサンタクロースだと思っていたくらい、不自由がないようにといろいろなものをプレゼントしてもらっていました。本当に檀信徒(だんしんと)の方々に恵まれて成長したと思います。
    ですからここで裏切るといいますか、違う道には行けないなとだんだん自覚していったというのが正直なところです。

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お檀家さんと(写真提供=倉島隆行)



■永平寺からフランス・ドイツへ

──海外での修行を志したのはどういうわけだったのでしょうか?

倉島    永平寺で修行を始めて2年経った頃、同級生の女性が亡くなるという経験がございました。亡くなる直前に「永平寺では何を学んだの?」と聞かれたんです。振り返ってみれば「スリッパを揃えましょう」とか「着物を正しく着ましょう」といったことは学んだけれども、これから死にゆく人に対してまったく響かないことばかりだったことに気づきました。それで女性には何も言えずじまいだったのです。
    それに考えてみれば、永平寺には覚悟を持って行ったはずだったのに、いざ修行が始まってみると実家から物資を送ってもらったり援助してもらったり、時には会いにきてもらったりもしてあまりにも娑婆世界とも近かった。もともと寺の生まれですからお寺仲間もいて、思い描いていた出家とはだいぶ違う姿になってしまっているなと思いました。
「これでは駄目だ」と思って、意を決してヨーロッパの禅寺で修行をすることにしたのです。

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フランスでの修行時代(写真提供=倉島隆行)


    曹洞宗というのは大きな教団で、海外にも弟子たちが渡ってお寺を運営しております。私はフランスとドイツに行ったのですが、そこでもうひたすら「死んでもいい」と思いながら坐禅に打ち込みました。
    フランス・ドイツには本を2冊持っていきました。ひとつが『正法眼蔵随聞記』。

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    もう1冊が澤木興道(さわきこうどう)老師の『聞き書き』です。
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    最後の禅僧とも言われる澤木興道老師は、実は四天王寺のある三重県津市のお生まれであるというご縁がございます。澤木興道老師は「日本仏教が弱体化したのは、若く、生きのいい者を扱えなくなったからだ。右に倣えで『はい』と言う金太郎飴のようなおさまりのいいお坊さんばかりが増えたからどんどん弱体化しているのだ」というようなことを仰いました。
    今回来ていただいた遊心さんはまさに「生きのいい若者」です。遊心さんのように「修行したい」「お寺で仏縁を結びたい」と思っていらっしゃる若者にどうやってお寺に入っていただくか。それを考えることが今の教団には必要であると思っております。



(2)体験して初めてわかる坐禅の魅力


■アパレル勤めから永平寺へ

前野    河口さんはどんな子ども時代だったのでしょうか?

河口    私は都留市にある耕雲院というお寺で生まれました。私で22代目、お寺としては630年の伝統があります。もともとは真言宗のお寺だったのが曹洞宗に変わって今に至っております。

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長い伝統のある耕雲院(写真提供=河口智賢)
    私も幼い頃からお寺で過ごすのが普通という環境で育ちました。私の場合は10歳で得度式を迎えました。そこで初めて頭を坊主にしたのですが、それまで普通の小学生として髪を伸ばしておりましたので、坊主にすることに抵抗があって「嫌だ!」と泣いたのをよく覚えています。
    得度式が終わって学校に行くと、坊主にしたことに対して友達からいろいろ言われたり、「お前んちはお寺だからお葬式があったらうまい飯が食えていいよな」というようなニュアンスのことを言われたりしまして、そういうことをきかっけにだんだんとお寺に対する違和感を感じるようになっていきました。
    その後、学生時代はスポーツにはまり、大学生になった頃には「お寺を継ぐ」という選択肢は完全に消えていました。当時の私は毎日渋谷にいるようなタイプで、アパレルで働いたりもしていましたので、まあこのままでいいかなと思っていたんです。
    そんな矢先に祖父が亡くなったのですが、亡くなる直前に「あいつは大丈夫か」という言葉を残していったんです。「お寺を継ぎたくないなら継ぎたくないでもいけれども、じゃあいったいあいつは何をやりたいんだ」と。それを聞いて、確かにお寺は継ぎたくないけど、じゃあ自分がやりたいことって何だろう。ひとまず修行に行ってみて駄目だったらやめてもいいんじゃないかと思い、永平寺に修行に行かせていただきました。行ってみたら見事に修行にはまってしまいまして(笑)、永平寺では4年も過ごしました。そういう経緯を経て、今に至っております。

前野    得度式では髪を剃るのですね。でもその後はまた伸ばしてもいいのですか?

河口    はい、私はすぐに伸ばしました。

倉島    私も得度式のあとはまた普通の髪型に戻りました。得度式では剃って、普通に戻って、永平寺に修行に上がる時にまた剃るという感じです。河口さんは髪の毛をピンクにしたりとかしていましたよね(笑)。

河口    しかもかなり長かったですね(笑)。


■好きな人に教わると坐禅の魅力がわかる

前野    私も坐禅を何度かやったことがあるのですが、足は痛いしなかなかその良さにはまるという気持ちがわからずじまいなのですが、皆さんは坐禅にはまっているのですか?    失礼な質問ですみません。足が痛かったり、邪念が出てきたりしないのでしょうか?    あるいはそれを無くすのが楽しいのでしょうかね?

倉島    そうですね、フランスやドイツではたとえばサラリーマンの方が、会社に行く前にちょっと坐禅をしてから行こうかな、とか、バカンスの期間ちょっとお寺に滞在して坐禅の修行をしようかなというふうに、けっこう日常生活に近い環境で坐禅を楽しまれていたのが印象的でした。
    坐禅はリラックスした状態で行うと非常に味わい深いものでが、日本では警策(きょうさく)という棒で叩いたり、しびれを我慢させたりと厳しく初心者に接してしまう先生が多いので、「こんなに辛いならもう二度と坐るもんか」思われる方は多いのではないかと思います。
    ですから最初にどういった先生に出会うかが、坐禅を好きになるか嫌いになるかを分けるのではないかと思いますね。何事においてもいい先生を見つけるのは重要です。
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倉島さんが主催する座禅会(写真提供=倉島隆行)
前野    なるほど。ということは、最近は弱虫な人も多いので、優しく指導してくださる先生も増えてきているのでしょうか?

倉島    そうですね。指導者も昔みたいに厳しさ一辺倒ではなく、いろいろなタイプの方がいらっしゃいます。厳しく教える人に限って、実は坐禅が嫌いだったりするんですよね(笑)。そんなに坐禅が好きじゃないから、とりあえず厳しくやっておこうと。やっぱり好きな人に教えてもらうと、その良さがわかるのではないかと思います。


■永平寺での4年

前野    永平寺に4年というのは長いほうですか?

河口    長いほうですね。

前野    どういうところが楽しくてはまったのですか?

河口    永平寺には師匠の許可がないと、行くことも帰ることもできないのですが、私は師匠から「2年間は行ってこい」と言われました。途中で逃げ出すことはできるのですが、逃げ出すとやっぱりお檀家さんなどに合わせる顔がないので、途中でやめることはできないなと。

前野    え、ちょっと待ってください。逃げ出してもお寺に戻ることはできるのですか?

河口    できます。

前野    そうなんですね。面白い抜け道があるのですね。

河口    永平寺は鍵がかかってないので、門に入るも自由、帰るも自由なんです。ただ、一度出てしまうと二度と足を踏み入れることはできません。

前野    ああ、なるほど。

河口    私も最初は坐禅が嫌いでした。それは坐禅することが修行というか罰に近いような扱いをされていたからでもあります。たとえば、何かミスをしたときに「お前坐ってろ」と坐禅を組まされたりするんです。罰になるようなことを修行の目的とすることに対して自分の中で違和感がありました。
    指導する側になってからも、最初は自分が受けてきたのと同じように厳しく指導をしていましたが、だんだん違うなと感じるようになって、さらに、自分が一人で坐る時間を持つようになってからは、「あれ、心のざわざわがなくなってきたな」とか、そういう気づきと向き合うことができるようになりました。それからはどんどんはまって好きになりましたね。
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坐禅をする河口さん(写真提供=河口智賢)
前野    ざわざわがなくなる喜びによって何度もしたくなる。そんな感じなんですね。

河口    そうですね。これはなんなのだろうなと。最初は形から入ったわけですが、形を調えていくと、だんだん心の動く度合いが自然と減って、心も調っていくことに気づいていきました。最初はやらされている坐禅だったのが、自分からやる坐禅になって、いいほうに変わっていったように思います。
    仕事などでもそうですよね。やらされているときよりも、主体的に取り組んでいるときのほうがやる気も起こるのではないかと思います。
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坐禅指導を行う河口さん(写真提供=河口智賢)
前野    私の研究分野に「幸せの4つの因子」というものがあるのですが、そのうちの「やってみよう因子」ですね。やらされ感でやるのではなく、やってみようという主体性が高いほど幸せを感じるというものなのですが、それと一緒だなと思いました。

河口    そうですね。主体性を持ってやったときにこそ本質が見えてくるように思います。


■在家で修行し坐禅にはまる

前野    平間さんはお寺のご出身ではないのですよね?

平間    はい、東京の一般家庭の出身です。大学生の頃に仏教に初めて興味を持ったので、お二人から比べればだいぶ遅いスタートです。

前野    どうして一般家庭で育った平間さんがお坊さんになられたのですか?

平間    そうですね、大学生の頃、将来を考え始めるようになって「人生に指針となるような柱がほしいな」と思ったんです。キリスト教系の大学に通っていたので、宗教の授業でキリスト教については勉強していたのですが、若いうちに宗教的実践をしてみたいという思いがわいて、日本の中でアクセス可能なところをゼロから調べてみたら、曹洞宗の安泰寺に行き着きました。もともと曹洞宗と決めていたわけではなく、すべて見比べてみて曹洞宗とご縁を持たせていただいたという形です。そして20歳の頃に修行を始めました。

前野    たまたま曹洞宗だったのですね。

平間    そうですね。その当時の私には、お坊さんにならなくても修行を試せる場所が曹洞宗以外に見つけられなかった。それが一番の理由です。私は安泰寺に行き、まず在家者として2年間修行をしました。大学を休学して行っていたので、その後大学に戻って2年かけて卒業して、再び25歳で安泰寺に戻って出家し、さらに1年間修行を行いました。
    安泰寺で合計3年間の修行をしてから永平寺に行かせていただいたので、永平寺の皆様には「なんでこんなに年を重ねてから」と思われたかもしれません。

前野    その年で行くのは遅めなのですね。その頃は普通に就職することは考えずにお坊さんになろうと思われていたのですか?

平間    2年間の休学ですと、卒業するときには新卒扱いになりますので、それを狙って2年間だけ修行しよう思っていたのですが、やってみたらはまってしまいました。河口さんと同じですね(笑)。
    本当に坐禅というものの魅力をすごく感じたので、人生をかけてやってみたいなという気持ちになり、今に至ります。


■体験して初めてわかる坐禅の魅力

前野    平間さんはどういうところに坐禅の魅力を感じたのですか?

平間    坐禅の魅力を言葉にするのは非常に難しいところがあります。
    坐禅の魅力に行き着くには、まずご本人が仏教の根本的なアイデアにどれだけ親和性を持って向き合えるかだと思います。今のこの社会だったり、その中での生き方についてまったく疑問を持っていなかったら、坐禅をしても何かが得られることはないように思います。何かを求めてそれを得て、どんどん成長して自己実現をする今の社会のビジョンの中でやっていける方はそれでいいと思うんです。すごくいいことだと思います。ただそこでつまずいてしまうというか、なにか違うなあという感覚を持った方が仏教的な思想や実践に目を向けて、そこで魅力を感じたならぜひ坐ってみてもらいたいと思います。
    まさに主体性ですね。主体的にやってみることで楽しさがわかると思うので、やってみて実際に自分がわかるまでは、坐禅の魅力はわからないのではないかなと思うところはあります。
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坐禅をする平間遊心さん(写真提供=平間遊心)
前野    なるほど。いくら質問してもわからないということなのですね。

平間    いや、そういうことではないんですけど(笑)。

前野    いやいや、やっぱり体験してわかるんですね。



(3)坐禅と正法眼蔵


■坐禅は悟りのためではない

前野    浄土宗、浄土真宗、時宗と、曹洞宗の前に浄土系の回が3回続いたのですが、そこでは「自分で悟ろうとしても悟れないけど、南無阿弥陀仏って言えば救われるんだよ」と、阿弥陀仏に委ねる方向性の話だったんですよね。でも曹洞宗になったら急に「坐禅」、しかも「厳しい」というような話になったのですが、できたのは同じ頃なのでしたっけ。同じ仏教なのになんでこんなに違うのでしょうかね。

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前野隆司先生(撮影=横関一浩)
安藤    そうですよね。「お坊さん、教えて!」は真言宗、天台宗から始めて、たとえば真言宗は大日如来、天台宗は法華経、そこが教えの核心なんだというお話をお聞きしてきました。そのうえで、空海とはどういう人なのか、最澄とはどういう人なのかというようなことを伺ってまいりまして、非常に興味深く感じました。
    同じように、曹洞宗の教えの核というのは何なのか、また日本で曹洞宗を大成させた道元という人はどういう人なのかというようなことを皆さんからお聞ききできるとありがたいのですが。

平間    曹洞宗の特徴というのは皆様もご存知の通り、やはり坐禅というものを中心に据えていることです。
    とは言っても、坐禅をする宗派は曹洞宗以外にも実はたくさんあります。
    じゃあ曹洞宗の坐禅が他の宗派さんと何が違うのか。それをあえて申し上げるとすれば、日本人になじみ深い、いわゆる「悟り」という言葉、禅の文脈では「見性(けんしょう)」とも言いますけれども、そういった悟り・見性を排しているところではないかと思います。「修行をして心が成長して、向上し続けた先に悟りがあって、悟ったあとは完成された人格になるのだからもう坐禅をする必要はない」というような一般的なイメージとは真逆です。
    そうではなくて、「坐禅を、修行をし続けることこそが、完成された修行者としてのあり方であり悟りそのものなのだ」というのが、曹洞宗の教義の一番の中心にあるというか、道元禅師の思想の中心にあると言えると思います。
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(写真提供=平間遊心)
    道元禅師は非常に純粋に釈尊からつながる本物の仏教を探究されました。その過程で見出したのが「修行をし続ける」ということです。悟って終わりではなない姿を修行僧たちが坐禅と共に行じ続ける(ぎょうじつづける)ところに仏法が現れる。道元禅師はそう仰いました。そこがやはり道元禅師の大きな特徴ではないかと私は思います。

河口    素晴らしいですね。ありがとうございます。遊心さんがいま仰ったとおり、曹洞宗の禅は悟りを求めるものではないのが特徴です。
    道元禅師の言葉の中に、「坐禅は習禅(しゅうぜん)にはあらず    安楽の法門なり」と言う言葉があります。習って積み重ねてそれで悟りを得るのではなく、発菩提心(ほつぼだいしん)を起こしたとき、もうすでに悟っているのだということです。
    曹洞宗の教義の根本に坐禅はありますが、それ以外の日常生活すべても修行であるというふうに曹洞宗ではとらえています。食事をとるときも一切言葉を発することなく作法の一つひとつを丁寧に行って、今この瞬間にいただく命というものを感じとります。今この目の前にある食事は今この瞬間にしかいただくことができない命です。それを今ここで感じ取る。掃除もお手洗いも作法が決まっておりますし、寝るときですら作法があります。「起きて半畳寝て一畳」という言葉がありますけれども、永平寺では寝るときに本当に畳一畳分のスペースしか与えられません。寝返りを打つと隣の方にご迷惑をお掛けしてしまいますので、ぐるぐるに紐で縛った布団中に自分がミノムシのように入り込んで寝るとかですね(笑)、そういったところまできめ細かい作法があります。日常の些事の一つひとつにまで事細かくこだわられていたのが道元禅師であると私は思っております。
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(写真提供=河口智賢)
倉島    鎌倉時代にたくさんの宗祖が生まれてきたのは、世俗化し、堕落した仏教者に対する痛烈な批判という側面がありました。中でも道元禅師は「権力や富といったものに仏教者は一切近づいてはいけない。深山幽谷(しんざんゆうこく)で坐禅をするのだ」と厳しく指導されておりました。そういったところも現代に生きる我々が惹きつけられている曹洞宗の一つの特徴であると思います。料理をする典座(てんぞ)など、それまであまり評価されていなかった裏方の仕事も含めて、すべて生活禅としてとらえております。


■坐禅や禅宗という言葉を嫌った道元禅師

安藤    道元禅師は、浄土と止観念仏と法華経が混在していた比叡山に入られ、その後に坐禅を選ばれて比叡山を降りられたと私は理解しております。浄土という未来(死の先)に救いがあるのではなく、法華経がいうように未来に仏になるのでもない。坐っている今の時間こそが何よりも重要なのだと。
    素人理解ですのでそれが合っているかどうかわからないのですが、浄土と禅というのはある程度同じ基盤を共有していたけれども、そこから全然違う方向に分かれた。そういう理解でいいのかどうか、お教えいただけるとありがたいです。

平間    これはかなりセンシティブな問題ですので、私が切込隊長として最初にお話します(笑)。
    まず皆さんの多くが誤解しているのは、「坐禅だけが重要なんだ!」と叫んで道元禅師が比叡山から出ていったというイメージです。「禅宗」という名前もそうですが、坐禅だけが大事で、坐禅をやってさえいれば、他のことは必要ないんだというイメージが皆さんの中にはあるかもしれません。
    しかしそういう実態は全然なくて、道元禅師は比叡山で念仏や坐禅をはじめ、さまざまな教学や律も学ばれました。ですからそれらを否定したいという思いはそんなになかったのではないかと思います。中でも法華経は晩年まですごく大事にされていました。
    道元禅師が一生をかけて言っていたことは、「私は中国から本物の仏法を持ってきたのだ」ということです。坐禅は仏法だから大事なのであって、坐禅によって救われようとすることだけが仏法だと思われたらそれは困ると道元禅師はものすごく強調していました。
    自ら持ってこられた仏法を「禅」や「禅宗」と呼称したことは一度もなく、むしろそう呼ぶのを嫌っていたくらいです。「禅宗とか禅師などという言葉を使っているやつは仏道を破壊する悪魔だ」、というようなことまで言われていました。高徳の僧侶は「老師」とか「古仏(こぶつ)」と呼びなさいと。ですから我々が「道元禅師」とお呼びするのも実はおかしなことなのです。
    安藤先生からの質問にお答えしていきますと、曹洞宗の場合、浄土門(じょうどもん)の方々のように、極楽浄土に行けば修行が捗るから悟れるのだとはもちろん提示してはいません。生命は輪廻転生の中で生きていて、その輪廻からの解脱を目指すというのが仏教の基本的な世界観です。テーラワーダ仏教の国々では今もその世界観が当然の話になっていますけれども、道元禅師もその世界観を非常に重視していました。正法眼蔵の後半「十二巻本」と呼ばれる晩年に書いた作品では「過去・現在・未来という三世の因縁を信じない者は全員畜生以下だ」と批判していて、特にそれが強調されています。
    道元禅師は伝統的な解釈に則らない仏教のあり方を嫌っていました。ですから皆さんの中にもしかしたらあるかもしれない「改革者」であるとか、「新しく宗派を興した実業家」というようなイメージは実はそれほど当てはまらないのではないかと思っております。


■正法眼蔵は読み解くものではない

安藤    センシティブな問題にお答えいただきありがとうございます。非常に興味深いです。
    正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)の中には、これはいったい何を言っているのだろうかと考えさせられるようなものがいくつもありますよね。「たき木はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪たきぎはさきと見取すべからず」とか、それから山水経(さんすいきょう)では「山も水も坐禅をするんだ」というようなことが書かれていてすごいなと思うのですけど、ここから一体何を読み解いたらよいのだろうかと素人の私は思うわけです。
    瞬間瞬間にあらゆるものが仏になるという世界観、今ここでありとあらゆるものが坐る。人間だけではなくあらゆるものが坐禅をする。全然修行というものをしているわけではない私は、これをどう理解すればよいのだろうと思ってしまうのですが、それについてお聞きしてもよろしいでしょうか。

平間    今のお話は正法眼蔵との向き合い方にもつながるのではないかと思います。
    「正法眼蔵を読み解く」というと、あたかも哲学書を読むように書かれている内容を明確に理解していくようなイメージがありますが、それはあまり正法眼蔵には当てはまりません。じゃあ実際にどういう読み方をされているかというと、伝統的には老師のご提唱(ごていしょう)の場に出て、老師のお話を聞きながら、自分の実践と照らし合わせていくという向き合い方が主となっております。永平寺でも眼蔵会(げんぞうえ)という正法眼蔵についての講座が年に一回開かれていまして、そういった会に出て正法眼蔵に向き合うのです。
    また、正法眼蔵は皆さんが思っているほど近世までは曹洞宗の実践に対して大きな影響を与えてはいなかったということも大事なポイントです。道元禅師の死後ずっと秘蔵されていた正法眼蔵が江戸時代になった頃から詳しく研究され始め、明治時代になると、眼蔵家(げんぞうか)と呼ばれる研究者の方も多く出てきました。そして大正時代にできた曹洞宗の正法眼蔵研究の施設が、私が修行していた安泰寺です。
    そういう伝統がありますので、私は一応正法眼蔵を読んではいるのですけれども、必ずしも曹洞宗の僧侶全員が全巻読んだ上で修行生活をしているわけではないですし、そうでなければ修行できないという性質のものでもありません。
    ですから皆さんにお伝えしたいのは、正法眼蔵を読んでいただくのは大事なことなんですけれども、その内容である「仏法」とは本来的に生身の人間である師弟間で授受されるものです。こういったリモートの会でその内容を適切にお伝えするのはなかなか難しいということです。とても申し訳ないのですけれども。



(4)臨済禅やマインドフルネスとの違い


■道元に禅宗という意識はなかった

安藤    禅宗の代表的な宗派に、曹洞宗と臨済宗があります。私がこれまで追ってきた鈴木大拙は僧侶ではなく在家の居士(こじ)として円覚寺で臨済を学びました。大拙は禅の歴史を書く中で「道元禅師がすごいのはわかるけれども納得できない」というようなことを言っています。
    臨済的な禅のあり方と曹洞的な禅のあり方とうのはどういうところが共通していて、どういうところが違っているのでしょうか。センシティブなことかもしれませんので、許される範囲でお聞きできればありがたいのですが。

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安藤礼二先生(撮影=横関一浩)
平間    スリリングなお話ですね(笑)。

倉島    まずは平間さんが切り込んでいただいて、私たちがそれを補足することにしましょう(笑)。

平間    では私から。皆さんご存知の通り、曹洞宗と臨済宗の伝統の源流は同じで菩提達磨大和尚(ぼだいだるまだいおしょう)です。それが中国でいくつもの宗派に枝分かれして、そのうちの曹洞宗を日本に持ってきたのが道元禅師、そして臨済宗を持ってきたのが栄西禅師であると、そのように皆さん思われていると思います。
    栄西禅師のほうは確かにそうかもしれません。しかし道元禅師はあくまでも「仏法」を持ってきたのであって「曹洞宗」を持ってきたと言っているわけではないのですよね。曹洞宗と名付けられたのも後の話です。道元禅師が曹洞宗の伝統を継いだ師匠のもとで修行をされたから曹洞宗と呼称されるようになった。「道元禅師は曹洞宗という教団を必要としなかったけれども、曹洞宗教団が道元禅師を必要としたのだ」と駒沢大学名誉教授の石井修道(いしいしゅうどう)先生が仰っています。
    本当にその通りだと思います。教団としては道元禅師を必要としていて、道元禅師の姿を見本としていたけれども、道元禅師には禅宗という意識すらありませんでした。
    ですから、臨済宗と曹洞宗はどこが同じでどこが違うのかといえば、坐禅をする宗派という意味では同じなのですけれども、いま述べたようなことがまず違うとご理解いただければと思います。
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(写真提供=平間遊心)
倉島    道元禅師は若い頃、延暦寺や建仁寺(けんにんじ)で修行をされ、その後中国に渡られました。当時の中国では臨済宗が勢力を持っておりましたので、出会う方々も臨済方が多かったのですけれども、それには納得できず、如浄禅師に会ったときに初めて「これが自分が求めていた本当のお釈迦様の教えだ」と感じられました。
    如浄禅師という師匠との奇跡的な出会いによって道元禅師は悟りを開かれました。いわゆる身心脱落です。
    如浄禅師がいらっしゃったからこそ、この正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)である坐禅が日本に伝わったということは間違いのないことです。


■公案禅と黙照禅

平間    それから、臨済宗さんの特徴は、看話禅(かんなぜん/かんわぜん)です。いわゆる公案というものを使った禅問答をするという伝統ですね。一見何のことだかわからないなぞなぞのようなお題を師匠から与えられてそれに向き合って坐禅をする。白隠禅師(はくいんぜんじ)の「片手で手を叩いたときにはどんな音が鳴るか」という公案が有名ですよね。
    それに対して道元禅師は黙照禅(もくしょうぜん)の伝統を引き継いでおり、看話禅を批判していました。
    ですから、曹洞宗と臨済宗の違いといえばこの類の公案を使うか使わないのかというところも非常に大きいのではないかと思います。

安藤    明確にご説明していただきありがとうございます。

河口    本当に遊心さんの仰る通りです。やはり曹洞宗というのは只管打坐の伝統がございまして、なにか言葉で表現するというものではないと思います。
    道元禅師は「仏道をならうというは、自己をならうなり    自己をならうというは、自己をわするるなり」と仰いました。与えられた公案を解いていくことよりも、自己と向き合うこと、あるいは今この瞬間に起こっていることに対して向き合っていくことこそが我々のなすべきことなのかなというふうに理解しております。それが曹洞宗の坐禅です。

倉島    先ほど安藤先生が「たき木はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪たきぎはさきと見取すべからず」という言葉を取り上げてくださいました。私たちは薪に火を点けると薪が燃えてそのあと灰になると考えます。先に薪があって後に灰があるというのが私たちの常識です。しかし道元禅師は「そうじゃない。薪は薪としての存在において始まりと終わりがあり、同じく灰は灰としての存在において始まりと終わりがあるのだ」とおっしゃいます。私たちの常識的な考え方を一度捨てて、一つひとつにちゃんとフォーカスを当てて物事を正しく見なさいと。それが道元禅師の一つの教えでございます。

前野    私が臨済宗と曹洞宗の違いとして知っているのは、壁に向かって坐るのが曹洞宗で壁を背に坐るのが臨済宗ということなのですが、この違いはなんなのでしょうか?

平間    臨済宗さんも昔は壁に向かって坐っていたという記録が残っていますし、壁に向かわなければ駄目な理由が明示的にあるわけでもないですが、一応歴史的には達磨さんの書き記した書物の中に壁観(へきかん)という言葉もありますし、曹洞宗はその伝統を受け継いでいるのかな、くらいに考えています。
    個人的にもどちらかというと壁を前にしたほうがやりやすかったりします(笑)。
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(写真提供=平間遊心)
    臨済宗と曹洞宗はやはり同じ伝統を共有していますので、近代の曹洞宗のお坊さんたちも臨済宗さんの影響を多分に受けていますし、私の師匠(ネルケ無方師)もかつて臨済宗の東福寺さんで修行しておりました。
    ですから曹洞宗と臨済宗は混じり合っているところもあるんですよね。私自身、違いを強調したいという思いは正直言ってあまりなくて、臨済宗に限らず、近年は黄檗宗(おうばくしゅう)やテーラワーダ仏教も参照しております。


■坐禅はメソッド化されていない

前野    禅宗の坐禅とテーラワーダ仏教の瞑想は素人ながら近いような気がしているのですが、こちらは大乗仏教で向こうは上座部仏教ですのでやはり違うものなのでしょうか?

平間    「坐禅は瞑想じゃない」とはよく言われますね。瞑想やマインドフルネスという言葉が近年日本でも流行っていますけれども、それに対するアレルギー反応のような感じで「坐禅は瞑想ではありません! まったく違うものです!」と禅僧は言いたくなっちゃうんです(笑)。
    もちろんテーラワーダ仏教と曹洞宗は教義や戒律の守り方、文化風土に大きな違いがあります。中でも一番大きな違いは戒律です。テーラワーダ仏教で出家する場合、比丘戒といって戒壇(かいだん)という授戒するための儀式をする場所に10人以上お坊さんを集めて儀式を行うようです。しかし我々日本の僧侶が受けているのは大乗菩薩戒(だいじょうぼさつかい)という大乗仏教の菩薩戒(ぼさつかい)なんですよね。これがまず大きく違います。
    テーラワーダ仏教は近年、世界的に広がっています。特に欧米諸国にものすごく広がっていますけれども、それは英語への翻訳が早かったからという理由も大きいです。その英語で語られているテーラワーダ仏教を見てみますと、実は実践上は坐禅とかなり近いんですよね。近いというか、もし坐禅を私が英語で説明するならばほとんど同じ説明になると思います。

前野    なるほど。そうなのですね。

河口    マインドフルネスと坐禅の違いとして大きいのは、坐禅はメソッド化・プログラム化されていないという点ではないかと思います。テーラワーダ仏教で教える瞑想のように「これを繰り返して積み上げて2週間経ったらこういう状態になりますよ」ということは坐禅にはありません。そこが大きな違いではないかなというふうには思います。
    「こうすればこういう結果が得られる」というようなメソッドになると、企業でも取り入れやすかったりして欧米諸国を中心に受けがいいのですけれども、坐禅の場合は結果重視ではなくプロセス重視と言いますか、その時その時が大事なので、その点が大きく違いますね。
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(写真提供=河口智賢)
平間    そこは大きく違う点ですね。その純粋性を道元禅師は大切にしていました。私自身も長く修行をしてきましたので、結果重視ではなくその時その場を重視するということには馴染みがあります。
    しかしながら、そこにはコントロール不能になってしまうという問題もあって、「今ここにありさえすればいい」という誤解は近代の禅宗でも問題視されてきました。
    これについては実は道元禅師も批判をされていて「今ここだけにあると言い張って、それを悟りとするような奴らは全員、外道(げどう)だ」ということを仰っているくらいです。
    ですから坐禅はプロセス重視で「今ここ」を大事にするものではありつつも、「今ここにありさえすればいい」ということだけには留まらないのだという両面があるということは抑えておいてほしいですね。

河口    仰る通りです。



(5)禅僧と社会とのつながり


■人に寄り添うお寺を目指して

安藤    「お坊さん、教えて!」のこれまでの回で、お坊さんの皆さんが、お寺というものを新しい教育施設や人々が集まる場所に変えていきたいという切実な想いをお持ちになられていて、実際にそういう活動をされていることを知りました。曹洞宗の皆さんにも、お寺の運営についてどのように考えられているかお伺いしてもよろしいでしょうか?

河口    東日本大震災にボランティアで入ったときに、私は「人に寄り添う」「人の話に耳を傾ける」ということがすごく必要されているということに気づかされました。お寺の建物がこんなに大きいのも、お寺というものが地域の中で何百年も根付いてきたのも、寺子屋だったり駆け込み寺であったり、やはり人に寄り添う場所だったからではないかとあらためて思いました。もちろん御供養なども大事なのですけれども、やはりお寺の本質は「どう生きるか」に関わることであって、皆様の生きる苦しみを少しでもやわらげるための活動をお寺の中ではしていくべきではないかと思ったのです。
    それで今はこども食堂をやらせていただいたり、学童保育で子どもたちに学びの場を提供したり、お寺を開放して地域の方にマルシェをやっていただいたりしています。私たちが門戸を広げさえすれば、けっこう皆さんに使っていただけるんだなと実感しているところです。やっぱり行動ですよね。行動を起こすことによっていろいろなことが見えてきました。

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耕雲院を解放して行われているマルシェ(写真提供=河口智賢)
    600年以上続いてきたお寺を次世代につなげていくためにはどうすればよいのか。現代のお寺は檀家制度によって維持運営ができているけれども、社会や家族形態がどんどん変わり、弔いということに関しても意識の変化が起きている中で今後どうしていけばよいのか。「坊主丸儲け」と言われることと実際のギャップもあります。そういうときに曹洞宗の全国曹洞宗青年会という若い青年僧侶の組織に入らせていただいて、倉島さんともそこで出会ったのですけれども、そこで同じ悩みを持っているお坊さんと出会ったことは大きな力となりました。
    これからも求めていらっしゃる方々のために、私たちのほうからどれだけ発信して手を差し伸べていけるかだと思っております。オンラインでの坐禅会も始めましたし、いろいろなことがつながってきております。

安藤    ありがとうございます。とても示唆的なお話でした。


■お坊さんの普段の過ごし方

安藤    曹洞宗の皆さんの具体的な日常の過ごし方というのはどのようなものなのでしょうか?

倉島    遊心さんは普段何をされているのですか?    私もお聞きしたいです(笑)。

平間    そうですね、私はお寺を運営していないのでかなり時間があります。まず朝は坐禅を2時間ほどやっておりまして、その他の時間はほとんど読書です。「贅沢な生活だな」と皆さん思われたかもしれませんけれども、そういうふうに面白い本を読みつつネットの活動につなげるという貧乏暮らしをしております。
    お金をほとんど使わない生活の中でも、坐禅をすることでやりがいや喜びが生まれてくるのは本当に励みになります。これは曹洞宗ならではのことではないかと感じております。
    ふらふらと楽しいことばっかりやっておりますが、本当に私の人生においては、修行が役に立っているというか――役に立つというのは曹洞宗の教義上はよくない表現なのですけれども、修行が私の人生に大きな影響を及ぼしているということを、いま生活を送る上で体感しております。

倉島    羨ましすぎます(笑)。

平間    ありがとうございます(笑)。

倉島    河口さんはどうですか。

河口    普段の一日に関しては、朝は坐禅をして、そして朝のおつとめをして、日中はお檀家さんの檀務(だんむ)をしたり、役所に行ったり、あるいは地方創生に関わるような仕事で業種関係なくいろいろな方々と話し合って、どうすれば地域がよくなるのかとか、お寺を使ってもらえるのかといったことに力を注いでおります。
    また私たちの生活は年分行事、月分行事、日分行事とやることが細かく決まっております。年分行事としては、たとえば布薩(ふさつ)といって戒律をちょっと犯してしまったり、何か悪いことをしてしまったときに礼拝(らいはい)をして謝る儀式があったりですとか、そういった儀式がその都度その都度ありますので、そういったものをやりながら一年を過ごさせていただいております。
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様々な儀式が行われている耕雲院の本堂(写真提供=河口智賢)
倉島    私は四天王寺でこの8月から介護施設をオープンいたしました。介護度の高い、寝たきりとか車椅子の方に歩く練習をしていただいて、もう一回自分の自立した生活を取り戻してもらうための自立支援介護です。そこで私は毎日、朝と昼に皆さんと一緒に椅子坐禅をやらせていただいております。
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通所介護施設「四天王寺庵」にて椅子坐禅を指導される倉島さん(写真提供=倉島隆行)
    四天王寺を建立された聖徳太子も1400年前に四箇院(しかいん)という介護福祉施設といいますか、社会的弱者の方々に対する救済措置としてのお寺を運営されておりました。やはりお寺というのは地域でのそういう役割を担っているのだなとあらためて実感しております。
    車椅子の方々に「元気になったら何をしたいですか?」と聞くと「お墓参りに行きたい」と皆さん仰るんです。これがリハビリにチャレンジする一つの目標になるんですよね。小さい頃にお墓参りをしたことや、仏様に手を合わせたことは、やはりずっと忘れずに五感の中に宿っているのだなと感じます。
    お寺の檀務もありながら、自立支援介護にも関わり始めて、非常に忙しく走り回っているのが実情でございますけれども、そういった意味でもお寺でやらせていただく意義というのを感じながら日々やっております。

安藤    私が民俗学の調査で沖縄のお祭りに参加したときに、お祭りの音楽が奏でられはじめて仮面をかぶった神が現れると、普段は車椅子で過ごされている方がその場にいきなり立ち上がって踊り出したことを思い出しました。病院の悪口でもなんでもないんですけど、病院という場所で過ごすと人間が持っている潜在的な能力って、どんどん弱まっていってしまうような気がしますよね。

倉島    私の師匠も入院して、車椅子から寝たきりになりましたけれども、120kgぐらいあった体が最後は本当に骨と皮だけになった姿を見て、本当に無常を感じました。
    やはり人間が最期まで尊厳を持って輝かしく生きるために、本道とは違うかもしれませんが、自分ができることとして、まずは自立支援介護をしよう、そういった現場で坐禅をしていこうと思って、今やらせていただいております。


■映画「典座―TENZO―」

──倉島さんは2018年に映画「典座―TENZO―」を製作・プロデュースされたと伺いました。そのきっかけなどについてお聞かせください。

倉島    私は2007年にダライ・ラマ法王を伊勢に招く委員会に参加し、宗教の枠を超えた「伊勢国際宗教フォーラム」の委員として活動しました。そしてダライラマ法王が伊勢の地に来られた時にですね、「倉島、今の日本仏教は駄目じゃないか」と言われたんです。「今の日本仏教は昔の経典ばかり読んで法話している。そうじゃなくて自分自身の言葉で仏教を説くんだ。いいか、倉島。そんなお袈裟を着けて形だけ調えている場合じゃねえぞ」と、大変厳しく言われました。こんな関西弁ではありませんでしたけど(笑)。
    そのダライ・ラマに対するアンサーが曹洞宗における食の大切さ、命の循環をテーマにした「典座―TENZO―」という映画なのです。私の背景にあるこちらですね。
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映画「典座―TENZO―」の説明をされる倉島さん
「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」、すなわち「坐禅は誰でもできるのだから、みんなやりなさい」と広く門戸を開かれた道元禅師の本当にありがたい慈悲のお心によって、曹洞宗は現在まで脈々と続いてきました。地位や性別、学歴などに関係なく、本当に仏心を持って修行した者が悟りを開くことができるという世界を、少しおこがましいながらも「典座―TENZO―」の1時間に込めさせていただいております。
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映画撮影中のひとコマ(写真提供=倉島隆行)
    エンディングも当初は河口さんが御詠歌という節回しのあるお経を一人でお唱えして終わるというシーンが予定されていたのですが、そこだけ監督にお願いして、尼僧の青山俊董老師とのコラボレーションにしていただきました。道元禅師も「男女(なんにょ)を論ずること勿れ」と仰っていますし、これからの日本仏教はハーモニーを持ってこそ花開くと思いのもと、エンディングでもハーモニーを体現させていただきました。
    ありがたいことに「典座―TENZO―」はカンヌ国際映画祭に選出していただき、ダライラマ法王からも「よくやったな」とお祝いのコメントをいただきましたので、ぜひとも、この下手くそな、大根役者の我々の演技を見て笑っていただきたいと思っています(笑)。
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カンヌ国際映画祭にて(写真提供=倉島隆行)
前野    あはは(笑)。

河口    「典座―TENZO―」を作らせていただいてありがたかったですね。この映画は少し複雑な構造をしていまして、フィクションとドキュメンタリーが交互に出てくるようになっています。普通の映画ですとシナリオと脚本を作ってから撮影を始めていくのではないかと思いますが、「典座―TENZO―」は青山俊董老師にお話を伺って、そこからシナリオを作ったという映画でした。
    青山俊董老師との対話シーンにはシナリオがなく、監督から「好きなことを聞いていい」と言われましたので、「お寺を継ぐのをやめようと思った」ということをまず伝えさせていだきました。それに対して青山老師が「それでいいんだ。反発していい。選んで選んで選び抜いて、そこに価値があるんだ」と仰ってくださったときに、自分の心の中ですーっとしたものがありました。「あ、お坊さんは迷っちゃいけないと思っていたけれどもそれは奢りだった。お坊さんもいろいろなことに悩み苦しむことは必要なんだ」と気づかせていただきました。こういう混沌とした時代ですから、「迷ってもいい、悩みがあってもいい」ということを皆さんにも知っていただけたらと思っております。そんな映画です。
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カンヌで記念撮影(写真提供=河口智賢)
倉島    それからこれはオフレコなんですけれども、この映画に関しては宗門関係者から口宣を頂戴しました。とんでもない映画を作ったなと(笑)。お坊さんが作業着を着て泥だらけになっていたり、お酒を飲んだり煙草を吸っていたりするようなシーンがあるのですが、「こんなシーンを入れないで、四季折々の修行の姿などをもっと美しく表現すべきだった」とクレームのお葉書なども全国から頂戴してやばいなと思ったことも付け加えさせていただきます。



(6)曹洞宗と道元禅師との関係性


■在家が修行する道

安藤    遊心さんが在家で修行を始めるにあたり、曹洞宗にしかその場が見つからなかったということでしたが、鈴木大拙や西田幾多郎、夏目漱石はかつて在家として円覚寺で学ばれていました。

平間    円覚寺居士林(えんがくじこじりん)ですね。

安藤    そうです。そこでふと気になったのが、いま仏教に興味がある人が仏教の修行をしたいと思った場合、そういう人は潜在的にかなり多いのではないかと思うのですが、どういう道があるのかということです。
    鈴木大拙の時代は、円覚寺が居士林を開くことによって、後の文学者や哲学者たちがそこを起点に大勢生まれました。現代においてそれはどうなっているのか。遊心さんご自身の経験を踏まえながら何か教えていただけるとたいへんありがたいです。

平間    その点については確かに二人の大先輩よりも私のほうが詳しいので個人的経験から申し上げたいと思います。まずですね、お寺に生まれて責任感を持ってお坊さんになってお寺の運営をされている方々が日本には大勢いらっしゃいまして、現代はそういう方々に対する批判がものすごく多いです。私自身も一般人出身なので、「お寺に生まれただけでお坊さんになった人たちよりも私はやる気を持ってやっているんだ!」とナイーブに考えていた時期もありました。
    しかしこの考え方は修行を重ねるにつれて少なくなっていきました。それよりも、そういう方々のおかげで仏教がアクセス可能な形で日本に残っていることの功績のほうが余程大きいんだなと感じられるようになりました。曹洞宗の寺族(じぞく)の方々が大変な苦労を重ねて寺院というものを現代まで残してきてくださったことに対して、本当にありがたいと思うようになりました。
    安藤先生からのお話につなげますと、やはり一般の人がアクセスできる実践仏教の場はものすごく少ないと思います。お檀家さんとしてお寺さんを支えるという形で仏教と関わることはできても、仏教の実践によって自分の人生になにかしら変化を与えたいと考えたときに、じゃあどのような選択肢があるのかというと、ほとんどないのですよね。私が10年前にインターネットで調べたときにも、「1日修行体験」とか、あるいは「お坊さんとして仕事したい方、まずは事務から始めてみませんか?」というような候補はたくさん出てきましたが、「真面目に修行をしてみたい方、うちで何カ月でも何年でも修行してみていいですよ」という場所は本当になくて、私が唯一見つけられたのが曹洞宗の安泰寺だったのです。もちろん他にもあったかもしれませんけど、私がやっと見つけられたのが安泰寺でした。
    私の場合はこのように曹洞宗で修行をする道に出会いましたけれども、いま仏教に興味がある人が仏教の修行をしたいと思った場合はどうでしょうね。家の近くのお寺や菩提寺のご住職に「仏教を実践したいのですが」と聞いてみたとしても、宗派に関わらず一般的には「面倒くさいな」と思われる可能性が高いように思います。私の現在の活動もそのような現状になにかできることはないかと、仏教実践に興味のある方々の助けになるように考えている面が多いですが、もちろんできることは限られています。
    ですから仏教の実践をしたい人たちに、テーラワーダ仏教が重宝されるようになってきていているのではないでしょうか。

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(写真提供=平間遊心)

■老荘思想と禅宗、そして道元禅師との関係

前野    今までの宗派では大日如来や阿弥陀如来が出てきたりして、「ああ、なるほど、そういうことだったのか」と思ったりしていたのですが、道元禅師の場合は「ただ坐りなさい。いや、ただ坐るだけじゃないんだよ」というスタンスが、他の宗派と大きく違うという印象を受けました。
    それからもう一つ、私の拙い知識で恐縮ですが、達磨さんが中国に行ったときには老荘思想が流行っていた。だから達磨さんは老荘思想の影響を受けている。だから禅宗は老荘思想と仏教の合いの子なんだという意見も聞いたことがあります。
    確かに禅問答と老荘思想は似ているような気もするのですが、そのあたりについてはどのようにお考えでしょうか?

平間    まず御本尊の話で言うと、やっぱり道元禅師が一番好きなのは、好きというのも失礼ですけど、やはり釈迦牟尼如来ですよね。お釈迦様のことが大好きで尊敬していましたので、やはり同じように仏道を歩んだ諸仏、諸祖の皆さんのことは大変尊敬していて、その方々と同じように私たちも修行しなくてはならないのだと強調していました。
    それから禅は老荘思想の影響を受けているのかという話ですけれども、もちろん老荘思想や儒教、道教は禅にものすごく大きな影響を与えています。中国の禅僧たちはその影響を受けた上で、修行不要論、すなわち「坐禅によって悟りを開いたら、その後は、生活の中で悟りを生かしていくことが大事であって坐禅はもう必要ないのだ」ということを提示し始めました。
    それに対して「修行を続けていく仏教が本物の仏教なんだ」と明確に批判したのが道元禅師です。つまり、老荘思想や儒教、道教の影響を無意識に受けていた禅の伝統から、意識的にそれらの影響を排していったのが道元禅師であると言ってよいかと思います。

前野    なるほど。

河口    平間さんが仰る通り、道元禅師は本当にお釈迦様がお好きで、正伝(しょうでん)の仏法をただただ追い求めていかれました。当時は簡単に中国へ行ける時代ではありません。船で数カ月かかりますし、運が悪いと上陸すらできません。
    そういう中で中国へ行かれて、道元禅師は不立文字(ふりゅうもんじ)や眼横鼻直(がんのうびちょく)といった言葉を持ち帰ってこられました。そのことからも、やはり道元禅師の求められたことというのは偶像崇拝ではなく、「自己の中に何を見出すか」であったのではないかと思います。菩薩や諸仏、諸祖の皆さんを敬いながらも、その中で「自分が今どうあるべきか」を探究する。道元禅師とはそういう方であったと私はとらえております。


■曹洞宗と道元禅師

前野    さらにお聞きしたいのは、中国の曹洞宗と日本の曹洞宗は違うのかということです。やはり日本の曹洞宗は道元禅師の影響が大きいのでしょうか?    それとも道元禅師を必要とした日本の曹洞宗も、やはり中国からの伝統を引き継いでいるのでしょうか?

平間    これについては学者さんの間でも意見が分かれるところです。道元禅師は独特の思想をお持ちでしたが、曹洞宗という教団としては二祖の懐奘禅師(えじょうぜんじ)以降、実は日本達磨宗(にほんだるましゅう)出身のお弟子さん方がつづきます。
    日本達磨宗の開祖は大日房能忍(だいにちぼうのうにん)といって、通信教育のような形で中国の禅宗流派から悟りの免状をもらった和尚なのですけれども、その宗派は今の臨済宗さんと似通ったような形の、どちらかといえば「本来の自然なあり方でありさえすれば、人間は救われているのだ」ということを強調するような伝統です。もちろん、二祖以下道元禅師のお弟子様方は皆しっかりと道元禅師の教えを受けられたのですが、道元禅師の独自性を考えると曹洞宗という教団とは分けて考えたほうがいいかもしれないですね。

倉島    どうしても、私たちは道元禅師を哲学者であるとか文学者であるとかジャンル分けして「こういう人であろう」とくくりたくなりがちなのですけれども、道元禅師という人はそれを超越した世界観にいらっしゃるといいますか、やはり本当に正伝の仏法のみに価値を見出しておりましたので、何かの分類といったものにはあまりとらわれていなかったような方かなという気はいたします。
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(写真提供=倉島隆行)
河口    道元禅師自身も変化していかれました。最初は文字はいらないと言っていましたけれども、後に書物を書き残されていたりとかですね。いろいろな経験の中で変容されていかれたというところは、我々も学ぶべきところであると思っております。何かにこだわってずっとこうじゃなければいけない、ということでもないのかなと思います。



(7)法話と人間関係


■全機現とは

──道元禅師の全機現(ぜんきげん)という言葉は「人間のすべての機能を発揮する」とか「今ここにあるだけではなく、それを全力でやる」という意味だと学んだのですが、そういった理解でよろしいのでしょうか。また皆さんは日々全機現していらっしゃいますか?

平間    そうですね、まず「全力を出してやればOK」という話ではないと思います。年老いたり病気になったりして自分が無力な状態になっても行うべきことはできる。それを可能にしてくれる土台が仏法であり悟りである。だからこそ我々はその現れとしての生き方をするべきなのだというお話なんですよね。ざっくり言うとですけれども。
    ですから「自分が頑張って全機現する」というよりは「全機現させていただいている」みたいな感じでしょうか。

河口    本来の面目(ほんらいのめんもく)という言葉があります。「あるがまま、あるべきように生きていく」という意味ですが、それって自分が全力でいさえすればできるというわけでもないんですよね。
    昨年、「スウィートグラス」という日本で一番お客さんが来られているキャンプ場を北軽井沢で経営されている「きたもっく」の福嶋さんに山の中を案内していただいたときに、舗装もされていないような山道をひたすら行ったのですけれども、山の中には本当にいろいろな種類の木があって、北軽井沢は火山地帯ですから、一つの種類だけではうまく育たなくて、いろんな種類の木を植えることによって土壌が育つのだということをうかがいました。しかも、シンボルツリーを守るために周りの木は自ら枝を落とすのだそうです。
    周りとの共生ですよね。私たち人間も同じように自分一人だけが全力で頑張っても枯れてしまいます。やはり他者との共生の中でバランスをとって生きていくこと、他者との共感の中で自分がどうあるべきを考えていくことが大事なんだと思いました。それを全力でやっていくことが私にとっての全機現であるというふうにと思っております。

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(写真提供=河口智賢)
倉島    ドイツのミュンヘンのお寺では接心が2週間ぶっ続けでした。夜も横にならずに坐睡(ざすい)しながらで、食事も最低限で2週間坐らせていただいたんですけれども、ある吹雪の日、窓の外を見たら隣の家の庭で吹雪の中で一生懸命何かの作業をしているおじいさんの姿が見えました。かたや私は暖房の効いた部屋で坐禅しておりまして、その厳しさ、辛さで言ったら、向こうのほうが断然辛いだろうと思いました。
    春になって、おじいさんが作っていたのは孫のためのブランコだったことがわかりまして、おじいさんが孫と遊んでいる姿を見たときに、「私には私の修行の道があり、おじいさんにはおじいさんの道がある」と思ったんですよね。吹雪の中で孫のためにブランコを作って、実際にそれで孫と遊んだときの感動というのはそのおじいさんにしか味わえないじゃないですか。私が坐禅をやめて「手伝います」と手助けするのは間違いであって、私は私の道を全うすればいいんだ。ということをその時に体感できたんです。
    全機現のお話からふと思い出したワンシーンです。みんなそれぞれ他には代えがたいものがありますよね。という法話でした。
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ドイツで修行していた頃の倉島さん(写真提供=倉島隆行)
前野    いやあ、いいお話ですね。


■曹洞宗における法話

──曹洞宗では法話をしないと聞いたことがありますが、いま倉島さんは「法話」という言葉を使われました。曹洞宗のお坊さんでも法話をしたほうがよいと考えている方もいらっしゃるということなのでしょうか?

倉島    和尚さんは常に高座(こうざ)に上って法を説かれるという絶対的な子弟関係が曹洞宗の伝統です。聞くほうは和尚さんを敬ってちゃんとお袈裟を着けて、礼拝して説いていただく、というのが本来の法話の姿です。
    それが現代では非常にフランクになっていて、私が行ったある講演会では、大ホール中央のステージにいらっしゃる老師を客席から見下ろすような位置関係で聞くようなスタイルでした。こういうスタイルでは法話は聞き手に響かないと私は思います。
    ですから「曹洞宗では法話しない」というよりも、法を説く師匠と子弟のきちんとした関係性がないと法話にそれほど意味がなくなってしまうということではないかと私は理解しております。

平間    仰る通りだと思います。師弟関係がない上での説戒(せっかい)や法話は本来の姿ではないと私も常々思っております。現代では法話がある種、エンタメ的に楽しまれていますけれども、そういうものはあまり意味がないように思いますね。やはり自分ごととしてとらえない限り機能しないのではないでしょうか。
    話し手と聞き手が互いの人となりを知っているという師弟間の人間関係の中でようやく伝わるのが曹洞宗の仏法ではないかと、大きく思うところがあります。
    私が最初のほうで「正法眼蔵は読み解くものではない」と言ったのもそういう意味合いにおいてです。仏教は学問や哲学ではないので、本を読んで勉強しているだけではわからないんじゃないでしょうか、ということを恐れながら僧侶としてお伝えさせていただいております。
    お寺さんがお檀家さんにする法話にしてもやはりお寺とお檀家さんとの関係があってのことですから、それもたいへん素晴らしいことであると思います。
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(写真提供=平間遊心)
河口    誤解のないように補足いたしますと、曹洞宗にも布教師(ふきょうし)がおりまして、法話を教え広めるというようなことはしております。私も曹洞宗の中の布教師の養成所に通わせていただいて、アナウンサーに話し方を教えていただいて勉強したり、落語を聞きにいったりしました。養成所では、そういった話術だけでなくて「日常体を話す」ということがもっとも大事だと教わりました。「お釈迦様はああ言った、道元禅師はこう言った」という話をするのではなく、お釈迦様が言ったことや道元禅師が言ったことを自分というフィルターを通して感じたことを話しなさいと教えられました。
    ですからオンライン坐禅などで仏教のご質問をいただいたときには、なるべく私というフィルターを通したお話をしようと心掛けております。少しでもそういった形で、仏教を伝えていけたらというふうに思っております。

前野    先ほど遊心さんが「法話は人間関係のある中で行うべき」と仰いました。「お坊さん、教えて!」のように不特定多数の人に話をするというのは本来の姿ではないということでしょうか?    人間関係のない人に言っても伝わらないというのは、言葉で言うよりも、まず坐ったほうがいいということなんですか?

平間    そうですね、法話と言っても一般的なお話でおさまる場合は不特定多数が相手でも全然OKだと思います。ただ、説戒(せっかい)と言われるような、戒律を前提としたような実践の話に関しては、人間関係をもとにしないと内容の伝達や指導はできないと思います。それから坐禅を通して人生に向き合いたいといった場合などは、やはり「どれくらい坐禅していますか?」「人生のどういうところに苦しみを感じているのですか?」といったことを踏まえてじゃないとお話ができませんので、法話の内容によるということになると思います。

前野    そういうことですね。謎が解けました。


■おわりに

前野    では最後に皆さんから一言ずつお願いします。

平間    本日は倉島さんとのご縁でまいりました。倉島さんに「どんどん話していいよ」と言われておりましたので、ざっくばらんに楽しくお話させていただきました。多少曹洞宗の僧侶のイメージを崩す部分もあったかとは存じますけれども、曹洞宗が現代に働く作用のようなものや曹洞宗の実践面が少しでも皆様に伝わっていたら嬉しく思います。本日はお招きいただきありがとうございました。

河口    前野先生の幸福学も仏教も目指すところは近いと思います。実践方法や捉え方は人それぞれ違っていても、やはりより良く生きるために仏教というものはあるのだと思っています。今日は遊心さんの深い知識から新たな学びをいただいた部分もありますし、この機会を今後の自分の糧にさせていただけたらと思っております。ありがとうございました。

倉島    今日は曹洞宗のお話させていただきましたが、決して曹洞宗が曹洞宗単体として成り立っているわけではありません。天台宗さんや真言宗さん、さまざまな宗派さんがあってこそ、鎌倉時代に成立した曹洞宗です。
    そのことを「お坊さん、教えて!」の企画のおかげで、あらためて実感いたしました。
    これまでのアーカイブでも本当に勉強させていただきました。すべてのつながりやご縁に感謝いたします。これを機に、皆さんが坐禅に魅力を感じてくださったらたいへん嬉しく思います。
    実践的な仏教に皆さんが参加できるような仏教界になることを祈念して私の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。

前野    今日は伝統あるお寺に生まれた河口さんと倉島さん、そして一般家庭で生まれ育った平間さんという幅の広さによって曹洞宗についての理解がとても深まりました。ありがとうございます。
    曹洞宗という流れと道元さんという人の強烈な個性との複雑な関係は、なかなか教科書だけでは学べないことですね。その絶妙さに面白さを感じましたし、道元さんや曹洞宗についてもっと学びたいという気持ちになりました。
    では最後に安藤先生、お願いします。

安藤    今日はいろいろと勉強させていただきまして本当にありがとうございました。お話を伺いまして、やはり頭だけでの理解では駄目なんだということを非常に深く学ぶことができました。
    それから「共に生きる」ということですね。自立支援介護の問題など、私が専門としている民俗学とも通底していて、宗教の実践が、近代的な宗教という言葉でまとめてしまっていいのかはいまだにわかりませんが、それがどれほど重要なのかをいろいろな角度から伺えたと思っております。本当にありがとうございました。

前野    今日は本当に貴重な時間をありがとうございました。次回は「お坊さん、教えて!」最終回の臨済宗です。川野泰周さん(神奈川県林香寺)と白川宗源さん(東京都廣福寺)をお迎えしてお送りします。ご期待ください。

(了)

2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年10月15日    オンラインで開催
構成:中田亜希


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