多くの場合は目を「瞑(つぶ)る」からこそ瞑想になるのです。目をつぶらなければ、注意は視覚にいき、内面に向けられないからだと思います。一方、坐禅の場合は、目を開けることが原則です。心を内面に向けず、一切に開くからなのです。
 


ネルケ無方(曹洞宗安泰寺住職)
(サンガジャパンVol.11 「瞑想と坐禅、そして私」)
※肩書は掲載時