【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「生老病死の苦とはなんですか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
「生老病死」は、四つの代表的な「苦」(四苦)と言われますが、生きる「苦」とは、どういう苦しみなのですか。恐怖とか困難の苦しみではなく、「生かされている苦しみ」、「自分の思い通りにならない苦しみ」ですか?
[A]
おっしゃる通りです。「生老病死」の「苦」とは、すべての生命にある、ごくふつうの現実です。決まっている四つの苦だから、気にしないで放っておいてもかまわないのです。しかしそれでも生きることは「苦」です。私たちが生かされているエネルギーは「苦」なのです。
たとえば、ごはんを食べることひとつとっても、お腹が空いたら苦しいし、食べて満腹になっても苦しいし、ご飯を探すことも苦しいし、食べるために畑や田んぼで仕事をするのも苦しいのです。食べることに関してだけでも、こんなに「苦」が揃います。生きる上でどうしても行なわなくてはいけないことをやったとしても、それは苦になるのです。苦が人生です。
明確な例があります。みな気づいていないかもしれませんが、呼吸をすることも、相当な苦なのです。息を吐いて、二分ほど止めてみましょう。激痛を感じます。では息を吸って四分ほど止めてみましょう。激痛を感じます。それでも息を止めていると、必ず死ぬのです。この死に至る激苦を和らげるために絶えず吸ったり吐いたりしているのです。ですから生かされているそのことが、本当の苦だと考えるのは正しいと思います。
人生は苦そのものなのに、「断食してやるぞ!」というのは意図的に人生に苦を足すことです。それが苦行の「苦」です。わざわざ苦を作らなくても、生きることそのものが苦です。苦をなんとか和らげる方法はないのかと探すのが、理性的です。夏は暑いに決まっているでしょう。静かな涼しいところにいたほうが利口です。ジャイナ教で教えているように作為的に人生に苦を加える生き方は仏教では禁止です。理性に基づいて苦しみを和らげて中正道を実践して解脱に達する、それがブッダの教えです。
■出典 『ブッダの質問箱』