中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)
ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。全六章(各章5回連載)のうちの第二章です。
第二章 神話の中の聖域 湊と依里の〝銀河鉄道〟[3/5]
■宮沢賢治のエコー
『怪物』に出てくる電車が銀河鉄道を思わせる聖域性を帯びているというのは、単なる演出にすぎないと割り切ってしまうことも可能です。感性的存在である人間にとって神話的表象は重要なものだと私自身は思っていますが。
そのことは置いておくとしても、実はもうひとつ大事なことがあります。本質的なレベルで、『怪物』の世界観は、『銀河鉄道の夜』を含む宮沢賢治の世界観と共振するものをもっているのです。このことに触れておかなければなりません。
賢治、是枝、坂元──この3人が記した次の4つの言葉をご覧ください。これらはいずれも《個人の幸福》と《世界のあり方》の二極間の関係を問うという思考を宿しています。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治『農民芸術概論綱要』)
(疎外される湊に対して校長が言う:「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない」(坂元裕二『怪物』脚本)
(いじめられている少女が教師に問う:「世界を変えることはできますか」(坂元裕二『わたしたちの教科書』脚本)
(湊と依里の問題を要約して監督が問う:「世界は、生まれ変われるか」(『怪物』の台本第1ページ)
賢治の場合、「世界がぜんたい」の「ぜんたい」には、おそらく生き物が生き死にを繰り返す輪廻空間の全生命体が入っています。坂元氏と是枝氏はそこまでは考えていないでしょう。しかし、個のあり方が個だけでは成り立ちえない、そこには社会というものが必ずや入り込んでくるという認識に関しては、賢治もお二人も同じです。