〔ナビゲーター〕
前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)
〔ゲスト〕
大場唯央(静岡県大慶寺)
佐々木教道(千葉県妙海寺)
慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第3回は、日蓮宗の大場唯央(静岡県大慶寺)さんと佐々木教道(千葉県妙海寺)さんをお迎えしてお送りします。
笑顔と気合いを携えて、自分流をイキイキと貫かれている大場さんと佐々木さん。お檀家さんからも地域の方からも愛されて、人の輪の中心で、力強く仏教の実践をされている姿が眩しいお二人です。紆余曲折を経てお坊さんになるまでの道のりや、宗祖日蓮上人のお話、そしてこれからの日本のお寺の可能性まで、尽きることなくお話が展開していきます。
(1)僕たちはなぜお坊さんになったのか
■挫折からの始まり
前野 皆さん、こんばんは。今日は「お坊さん、教えて!」の第3回です。私は司会を務めます慶應義塾大学の前野隆司です。
安藤 多摩美術大学の安藤礼二です。
前野 本日は日蓮宗の大場唯央(おおばゆいおう)さんと佐々木教道(ささききょうどう)さんをゲストにお迎えしております。
佐々木 千葉県勝浦市妙海寺で住職をしております、佐々木教道43歳です。よろしくお願いします。佐々木教道さん
(写真提供=佐々木教道)
大場 私は静岡県藤枝市で大慶寺というお寺の住職をしております。大場唯央36歳です。大場唯央さん
(写真提供=大場唯央)
前野 若い! よろしくお願いいたします。私は59歳でございます。
佐々木 なんか年齢言わないほうがよかったですね(笑)。
前野 言っても大丈夫です(笑)。お二人とも若くして住職なんですね。なんとなく住職の方ってもっと上という印象があるのですけど。
佐々木 私は大学を卒業してすぐの22歳のときにお寺に来ました。最初の2年間は父のもとで住職になるための修行をして、24歳で妙海寺の住職になりました。
大場 住職歴が長いのですね。お父様はもう住職を引退されたのですか? それとも別のお寺に。
佐々木 別のお寺です。
前野 ということは、お父様がお寺をいくつも持っていてそのうちの一つの住職になられたということですか?佐々木教道さんとお父様
(写真提供=佐々木教道)
佐々木 いえ、妙海寺の先代の住職が父の大先輩だったのですが、妙海寺に後継ぎがいなくて、うちから1人どうかという話になったんです。私は4人兄弟なのですが、4人のうち1人を妙海寺にどうかと。そのときに私に白羽の矢が立ちまして。それがなかったら私、今頃のたれ死んでいるかもしれません(笑)。ご兄弟と一緒に
(写真提供=佐々木教道)
前野 なるほど。では住職になった経緯を詳しくお聞きしていきたいと思います。今までお話を伺った真言宗と天台宗のお坊さん4人のうち、3人はもともとお坊さんにはなりたくないと思っていて違うことをやっていたけれど、途中でやっぱりやりたいと思ってお坊さんになったと仰っていました。佐々木さんの場合は?
佐々木 まったく一緒です。父方も母方も祖父の代から日蓮宗のお寺で住職をしていたので、長男の私が当然後を継ぐべきという暗黙の了解がありました。でも自分自身はお寺というところに生きていながら、お寺がどんな場所で、仏教がなんたるかをまったく知らなくて、違和感ばかりが目についていたんです。
特に小さい頃は「お前の家は坊主丸儲けでいいな」なんてことを言われたり、袈裟を着て歩くとみんなに馬鹿にされたりするので、お坊さんというのは頑張ってもどうしようもない部分があるのではないかと思って、それだったら一般の仕事をして、一般的な幸せをつかむという体験をしてみたい、と大学を卒業するくらいまでは思っていました。日蓮宗のお寺に生まれ育つ
(写真提供=佐々木教道)
前野 でも大学を卒業する22歳でお坊さんになったのですよね。突然考えが変わったのですか?
佐々木 私たちはお寺に住まわせていただいていますので、もし父が急に倒れたとすると、私たちは家族でお寺から出ていかなければいけないんですよね。父だけじゃなく、4人の兄弟も含めてみんな出ていかなければいけません。三男がその頃からお坊さんになるという話をしていたのですが、私も長男の責任として資格だけは持っておいたほうがいいかなと考えました。
私、ずっと野球をやっておりまして、できれば野球選手になりたいと高校時代は夢見ておりました。当時、立正大学はとても野球が強かったので、ならば野球をやるために立正に入り、長男の責任としてお坊さんの資格を取ろう、この2つが大学時代にやるべきことだと思ったんです。
しかし野球は1年生のときに挫折。野球をやめるときには自分の人生を失うくらいの喪失感がありました。その後は種々のアルバイトを体験しながら、自分に合う仕事はなんだろうと自分探しの時間が始まりました。
しかしそこで再びどうしようもないくらいの挫折をして落ち込んで、なぜ自分はこうなってしまったんだろうと長く自問自答したんです。そのときに気ついたのが、自分さえ良ければいい、自分さえ儲かればいい、自分さえ幸せになればいい、と自己中心的な思いが強かったということでした。
自分の人生には他者がなかった、そういう結論に到達したとき、ちょうど妙海寺へ来ないかというようなお声がけをいただきまして、自分には務まるかわからないけれども、まずは行ってみて、自分にできることをやってみて、本当に合うならば続けていこうと思いました。確信的なものは何もなかったのですが、そのようにしてお寺に入りました。
■三男でもお坊さんになれる!?
前野 大場さんはどのような経緯でお坊さんに?
大場 お坊さんになりたかったか、なりたくなかったかで言うと、別にどっちでもなかったんですよ。そもそも選択肢にありませんでした。
前野 お坊さんの家系に生まれたわけではない。
大場 いえ、お坊さんの家系です。父が住職をしていた大慶寺で生まれ育ったんですけども、男3人兄弟の末っ子なので、継げとも継ぐなとも言われなかったんですよ(笑)。当時は長男が継ぐという価値観も強かったですし。だからといって他にやりたいこともなく、将来の夢がない幼少期でした。将来の夢を書かされるのがしんどかった記憶があります。幼い頃の大場唯央さん(中央)
(写真提供=大場唯央)
それで大学2年のときに、これから就活とかどうしていこうと思っていたら、父親から「お坊さんという選択肢もあるよ」と言われて、「え、三男でもなれんの?」とちょっと興味がわきました(笑)。それでとりあえず仏教の勉強をしてみようと、大学に通いながら立正大学の夜間にダブルスクールみたいな形で通ったんですよ。そしたら、「ああ、なにけっこう面白いじゃん」って思って。
それで仏教の勉強をし始めて、その頃、祖父が亡くなったんですけれども、通夜とか葬儀にいらしていたお坊さんたちが、「一番お坊さんに向いているのは三男なんだ」と祖父が言っていた、ということを話していたらしいんです。
それを間接的に聞いて、「あ、そうか、じいさんがそう言ってくれているのであればやってみようかな」と、それが後押しになってお坊さんをやり始めました。
今は天職なんじゃないのかなと思うくらい、楽しいですね。合っているという気がします。
唯一苦手なのは字で、あれだけはまだクリアできないんですけど(笑)、お坊さんというあり方は、僕に今しっくりきています。お坊さんイコールお寺に勤めている人、というようなイメージがありますすけど、もう少し広い意味でお坊さんを捉え直して今いろいろやっているところです。
前野 広い意味で。
大場 住職じゃなくてもお坊さんが活動できるフィールドがあるんじゃないかなと。それは教道さんも同じ思いだと思いますが。
前野 お二人とも男兄弟が何人もいらっしゃって、その方たちはお坊さんになられたのですか?
佐々木 うちは三男もお坊さんで、父のお寺の副住職をしています。
大場 僕のところは長男もお坊さんです。かつて父が2つのお寺の住職を兼務していたので、一つのお寺の住職を早いうちに兄が継いで、父が昨年亡くなったので、もう一つのお寺である大慶寺をいま私が預からせていただいていますご家族とともに
(写真提供=大場唯央)
前野 お祖父様が「三男がお坊さんに一番向いている」と仰ったそうですが、そもそもお坊さんに向いている人ってどんな人なんですか? 大場さんのどんなところが向いているとお祖父様は思ったのでしょうかね。
大場 けっこう自慢なんですけど、僕、めっちゃ努力できるんですよ(笑)。そういうキャラじゃないですか。
前野 格好いい。それを自慢できるのすごいですね。
大場 努力できるので、たぶんそういうところかなと。
──お坊さんが合っているなとどのようなときに感じますか?
大場 一言で言うと、僕は救うことに救われているんです。誰かを救ってあげようだなんて、そんなおこがましい気持ちはありませんけど、誰かから気持ちが楽になったとか、救われた、というようなことを聞くと、それを聞いて僕が救われるんです。ですから、お坊さんとして合っているなと思います。
(つづく)
2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年6月21日 オンラインで開催
構成:中田亜希(2)自由で闊達な日蓮宗