【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「不安の正体」です。
[Q]
不安ということについてお聞きします。安定を求めているからでしょうか、何かある度にじわりと不安が湧いてきます。その後、不安な気持ちを紛らわそうとしたり、逃げようとしたり、何かにしがみついてしまう自分がいます。この不安に対しては、何もしないで放っておいていいのでしょうか? 不安に対してどうしたらいいのでしょうか? 対処方法を教えてください。
[A]
■妄想の不安と本物の不安
不安を感じたことに対して一概な答えはありません。それぞれ自分が感じている不安が、どのようなものなのかわかりません。不安というのは、宇宙法則であって膨大・巨大なものなのです。私たちは全宇宙の法則、生命の法則である不安(苦・無常)というものは感じていません。自分に限った何かしらの不安を感じているだけなのです。その不安自体も本物の不安ではありません。それは妄想の結果です。
そもそも欲がある人ほど、不安を感じやすいのです。下らない例で考えてみましょう。お金を持っている二人がいるとしましょう。ひとりは、ものすごく欲張りで、ケチで、金に対して執着がある。もうひとりは、その反対の性格とします。この二人がそれぞれ百万円を持ったとする。欲張りでない方は、常識範囲の愛着しかありません。欲張りな方は、「私の百万円」と金に愛着を持っています。この二人のどちらがより不安を感じると思いますか?
答えは、愛着が強い人です。愛着が強ければ強いほど不安を感じるのです。例えば金が自分から離れていかないように、人に盗られないようにしなくてはいけないと考える。金を持っていることを他人に知られたら嫌な気分になって、泥棒でも企んでいる悪人ではないかと変な勘ぐりまでする。あるいは、金を貸して欲しいと要求されるかもしれないと考えたりする。あらゆる妄想をして不安を感じるのです。百万円ですから、それなりの愛着はあるのは当然なのですが、常識範囲なら普通百万円を持っていたとしても不安を感じることはありません。
そのように不安というのは、愛着があると感じてしまうものもあるのです。人間が感じている、訴えている不安というのは、精神的な病気の一種です。本当の不安というのはそんなものではありません。仏教で扱う不安というのは、これは全宇宙・全生命の法則のひとつなのです。究極の真理のひとつなのです。ですから、まず不安というのは二種類あると理解してください。
■不安のタイプを発見する
不安が出てきたらどうしたらいいでしょうか? そのタイプを発見して適切に対応しなくてはいけません。精神的な病気の一種としての不安であるならばかなり危険な病原・細菌です。放っておいてはいけません。早く対処しなくてはいけない。仏教でいう真理としての不安というのは、真理ですからどうすることもできないのです。
本当のところ、私たちは自分の人生を暗くする、煩悩を掻き回す、怒りを引き出す、そのような感情的な不安を失くして、真理である不安を発見しなくてはいけません。真理である不安なら「智慧」ですからまったく問題は起こりません。一人ひとり自分が抱いている不安が、まずどのようなタイプであるかと観察した方がいいと思います。例えば「私はこういうことで不安を感じている」と明確に言葉にしてみる。次に「これは本物の不安なのか?」というふうに確認してみた方がいいのです。
ですから、不安に対しては質問者が言っていた「放っておく」ということは良くありません。この場合の放っておくというのは、不安に好き勝手やってくださいということになります。愛着から妄想し生まれた不安は、精神病の病原なので放っておいてはいけません。取り扱いは難しいのです。
■不安を知識的に理解すると……
いくらか知識がある人は私の話を聞いて「不安なのは当たり前」と理解してください。不安から逃げません。不安があるから人間として生きている。人間が経済活動をすることも、政治システムを作ったのも、残虐に人を殺したりすることも、すべて不安と疑があるからなのです。科学発展することも、新薬開発をすることも不安があるからやっているのです。信じられないほどの資産を持ったグローバル企業のCEOも酷い不安を抱えているからこそそれを解決するために、様々な研究に膨大な資金を費やしているのです。
ですから、知識的に理解するならば、不安が無い人は誰一人としていません。そういうことで、不安があることは当たり前で問題として捉えない方法もあります。それは放っておくということではなく、「だから何ですか?」と平気でいることなのです。理解して落ち着くことです。これができるかどうかは個人差があります。無理をして落ち着かせようとする必要はありません。
■放置しておいてもいい不安
話を戻しますが「何に対して不安を感じているのか」を確認してみてください。それから自分自身に「私にこの不安を解決することはできるのか?」と問うてみて、聞いてみてください。そうすると答えは出てきます。「解決できない」という答えが出たらそれでもいいのです。人が何に不安を感じるのかということはわかったものではありません。もし解決方法があれば本人がすでに実行しているはずです。
例えば、もしかしたら自分がインフルエンザにかかったかもしれないと不安を感じる。一人で生活しているしインフルエンザにかかったら大変だと思ったら、次の日には病院に行って診察を受けて薬をもらっているはずです。一応、不安を解決しようとしていることになります。不安に悩んでいるということは、解決方法が無いということなのです。ですから、精神病の病原となる不安にはどうしても個体差があります。それぞれの不安の共通性はあるのですが、個人個人で原因が異なるので、各自でどうやって不安が生まれたのか原因を調べてみた方がいいと思います。
もし解決方法の無い不安だとしたら、悩むことはエネルギーの無駄遣いです。その時は個人で「不安はあるけど気にしない」という結論に達するのです。結論に達するためには、私の不安がどういうものなのか、何に不安を感じているのかという確認・研究が必要になります。結果、不安を解決する方法が無いという結論に達したらならば、その不安は放っておいても構いません。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編3』