【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】

 皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にをブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「器の大きな人間になりたい」というお悩みです。


[Q]

 心の器の大きい人間になるには、日々どのような努力をすればよいのでしょうか?

[A]

自己中心に考えることをやめる


 自我の錯覚を失くせばいいでしょう。何でも自己中心に考えることをやめる――それだけです。私たちはいつでも「自分」が先に来るのですね。自分の都合・自分の楽など。ですから自分のことを心配するより先に、周りのことも心配する人間というのはすごく心が大きいのです。信じられないぐらい、心の器がたちまち大きくなります。そこに気をつけて実行してみてください。

 自分が悪いことをしながら「私のことはさておき、あなたは悪いことしないでくれ」という、だらしない生き方ではありません。とにかく人のことも心配する。自分のことだけ考えるということをやめてみる。それで、心の器が大きくなります。

お金で買えない楽しみ


 シンプルな論理ですね。自分は千円を持っていてレストランで昼ご飯を食べる。それは楽しいことでしょう。同じ楽しみを作るのです。ある人がいて、お腹が空いているのだけどお金が無くてご飯が食べられない。それでその千円をその人にあげて、「あなたはこれでご飯を食べてください」と言うと、自分にはお金があるし、朝飯は食べたから一回ぐらい昼飯を抜いたってどうということはありません。その代わり、他人が自分の千円でご飯を食べている。それも、結局自分たちが作る「楽しみ」なのです。

 でも、私たちは肉体至上主義で生きているので「だって、私もお腹が空いているんだもん」と馬鹿なことを言うでしょう。しかし精神的な安らぎはどうですか? 自分がすごく良いことをしたというと自分の価値が上るでしょう。それはお金で買えるものですか?

自他を同列にする


 自分のことだけ心配する人には価値が無いのです。自分の千円でご飯を食べて「お前に金が無いのは知ったことじゃない。これは俺の金だから俺が食うぞ」という人には生きる価値が無いのです。「あなたご飯食べてないの? 私も昼ご飯を食べようと思っていたけどいいや、これであなたが食べてください」という人こそが偉大な人間なのです。

 心の器の広い人間になるということは簡単ですよ。そんなに大袈裟なことではありません。私たちは自分のことだけを中心にしていて、他のことは無視します。それは止めて人のことも心配する。自他を同列にした方がいいのです。自分よりも相手のことが心配とまでなると、それは偽善ですからやらない方がいいです。「私は自分の命を惜しまず、人のために頑張るぞ」というのは詐欺師たちで、嘘ばっかり吹聴しています。そうではなく、自分と他人を同列にするのです。そういうふうに頑張ってみてください。



出典 『それならブッダにきいてみよう: こころ編2』