シュプナル・法純(僧侶)


ロシアによるウクライナ侵攻という最悪の状況が続いており、この戦争に仏教はどう向き合えばよいのか、問いを続けずにはいられない。そしてこの時代に、日本で活動を続けるウクライナの隣国ポーランド出身の禅僧がいる。シュプナル・法純師である。法純師はこの戦争をどのように考えているのか、また、ポーランドでの仏教との出会いやこれまでの人生なども踏まえて、今こそ立ち返るべき仏教が目指す道についてお話をうかがった。


第1回    カトリックから禅へ


■カトリックの国、ポーランドに生まれて

──法純さんはポーランドご出身ですが、どのような経緯で仏教に出会い、日本に来られたのですか?


    私はポーランド出身で、現在は日本の曹洞宗の僧侶ですが、伝統的なカトリック教徒の家族で生まれ育ちました。ポーランドでは宗教は一番の基本ですが、日本は無宗教の方も多いようですね。また、昔から色々な宗派があり、そのうえ「神仏習合」もあったので、私の知る限りではどれが神道でどれが仏教なのか区別ができない方もかなりいるようです。そこは日本人のかなり特種なところではないでしょうか。
    私は日本に住んでいるので外国人ですが、特に最近はポーランド人としてのアイデンティティを感じるようになりました。ポーランドは966年に初代ポーランド国王がキリスト教に改宗して以来、ローマ・カトリックを国教としています。さまざまな習慣や祝祭日もカトリックの教義に基づきます。
    日本は島国なので少し違いますが、そもそも国というのは、「地図に引いたAの線からBの線まではA国で、Bの線からCの線まではB国」というように単純に分けるのでなく、何を信じているのかを基準にしていました。キリスト教やイスラム教といった宗教の違いだけでなく、同じキリスト教でもカトリックとかギリシャ正教とか、プロテスタントとかいろいろあり、それもまた争いの原因になりました。そのように歴史をみると、欧州の国民性の中心には宗教観があると言えるでしょう。
    ポーランドも、決して例外ではないです。今の若い世代はそれほど宗教観が強くないかもしれませんが、もう少し年配の私の両親の世代をみるととても強いです。私も宗教があるのが当たり前で、宗教がないという世界が想像できないくらい大切に感じていました。
    私は生まれたばかりで幼児洗礼を受けキリスト教徒になりました。両親は毎日、朝起きてすぐと寝る前には壁に掛けた十字架の前で主の祈りを唱え、私も子どものときは当たり前のこととして一緒に祈っていました。信仰がある家庭は幸せです。

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■道を求めて

    そのような環境で育った私ですが、17歳の頃から自分の宗教観が震え始めました。当時の神父さんたちが、私が求めていた「神様」をオファーすることができなくて、ある意味では、教会で教える「神様」に対して疑問を持つようになりました。そして違う宗教やスピリチュアル的な道を探すようになったのです。元々哲学が大好きでしたから、そういったことに関心を持って自分の道を探していましたが、それは教会では見つからないと思い、だんだんと教会から離れるようになりました。
    当時は両親と一緒に住んでいて日曜にミサに行くのは当然のことでしたが、家族には「ミサに行く」と言って公園や街中で時間をつぶしていました。そしてミサが終わるころ家に帰りましたが、誰にも疑われませんでした。


■チベット仏教の瞑想センター

    そのころ、ソギャル・リンポチェの『チベットの生と死の書』という本に出会いました。仏教では人が亡くなってから次に生まれる前に「中有」という時間があり、その時に、死者の心をどうやって導けばいいかというマニュアルのような本です。ヨーロッパですごいロングセラーになって、私も読んでみると不思議に心に響きました。今まで聞いた教会の話とは少し違う、そういう道もあるのかと思い、もっと知りたくなりました。
    大学に入学して、家を出て大きな街に住み始めると、その街にチベット仏教の瞑想センターがありました。瞑想センターといっても、実際は普通のアパートです。さっそく仲間に入りチベット仏教を学び、瞑想をしましたが、すぐにそのグループに違和感を持つようになりました。おそらく、その時はまだ、完全に自分のキリスト教さを脱皮してなかったため、そういうエキゾチックなことをやるのが怖かったのでしょう。さらに言えば、日本のある意味での、なんでもいい、ゆるい宗教観に対して、ポーランド人の宗教の「堅さ」もあったかと思います。
    また、その瞑想会のメンバーのなかで、私だけ初心者でした。他のメンバーはある程度経験があり専門的なことを当たり前として知っていましたから、若干、初心者である私をバカにして偉そうにしている雰囲気もありました。それで、間もなくやめました。


■禅との出会い

    次に、禅のイベントに参加しました。どこかの街角で坐禅入門というポスターを目にして興味を持ち、参加することにしました。そこもボロボロのアパートで、参加している人はヨガの先生など独特の雰囲気のある人が多かったです。今はヨガがポーランドでも市民権を得て、街中にホットヨガやコールドヨガの看板もよく見かけますが、二十年以上前の当時は違っていました。カトリックからすると、ヨガというのは悪魔の教えでした。仏教もそうですよ。神父さんたちは平気でそう言います。そういった話をする神父さんは、まだ今でもいると思いますね。
    坐禅会に参加していたのはヨガの先生の他にも、自分で事業をしている人や無職の人などもかなりいました。つまりポーランドにおいては、メインストリームの常識的な社会人ではなく、ちょっと外れた人たちばかりでした。
    そこにいたお和尚さんは日本でずっと修行されたポーランド人です。当時42か43歳でしたから、今の私とほぼ同じ年齢ですね。そのお和尚さんがされた法話が、教会の説教とは全然違っていて驚きました。根本的にわかりやすいし、響いてくる。「あっ、これは私のことを言っている」と自然に心に入ってくるんですね。
    特に、日常生活をどう生きるべきかというお話が響きました。「殺してはいけない、嘘をついてはいけないということをブッダは教えた」とてもシンプルですが、そこが本当に素晴らしい。私はそんなことを初めて言われました。他の多くの宗教のように、絶対的な神様がいるので信じなさいではありませんでした。
    こんな教えもあるのだと惹かれました。特に勧誘されたのではなくて、もっと話を聞きたいという気持ちで、お和尚さんが指導されている禅道場に入り、そこの人たちと一生懸命に坐禅をしました。その後、お和尚さんは私の得度師匠になりました。


■ミサと坐禅会の大きな違い

    今はそうではありませんが、その頃の私はカトリックに批判的な態度をとっていました。カトリックとキリスト教の教えは少し別ですが、カトリック教会という権威的な組織に対しては結構批判的でしたね。禅の方が素朴で、お袈裟もかっこいい。お和尚さんも神父さんのように祭壇に立っていて崇めるような、権威的な存在ではありませんでした。法話のあとで「なにか質問ありますか?」と聞いてくださり、いくらでも質問ができました。しかも、坐禅会が終わると「じゃあ、一緒にお茶を飲みましょうか」と声をかけてくれてフレンドリーです。日本はわかりませんが、ポーランドの教会ではミサでいきなり「ハイ!    質問があります!」とかありえないです。儀式プラス短い説教があるだけで終わりです。
    今でも欧米の禅道場やチベット仏教のセンターをみると、やはりみんなそんな感じです。日本の禅はまだ硬いですよね、日本に行ってびっくりしました。お和尚さんは偉い存在だからみんな遠慮していますし、寺のことがなんとなく怖いという場合も少なくない。でも、向こうは全くそうじゃないんですね。


2022年11月28日    東京都荒川区・正覚寺にて
取材・構成:森竹ひろこ
撮影:横関一浩

第2回    禅僧への道