シュプナル・法純(僧侶)
第2回 禅僧への道
■柔軟心に憧れて
やがて私は坐禅グループのリーダー的な立場になりました。人を引っ張る気持ちはなかったのですが、坐禅会や接心、師匠の法話会などを主催するようになり、自然にみんなを引っぱり始めたんですね。同時に、当時は大学の英語学科に在籍していたので、例えばチベット人のラマさんたちがポーランドに来られた時は、頼まれて通訳などもしていました。そうして、だんだん仏教の世界で顔が広くなっていきました。
属していた禅センターの他のメンバーは日本の剣道に興味があったり、書道に興味があったり、あるいは禅にひかれたという人たちでした。でも、当時の私は日本には興味がありませんでしたし、日本語も勉強していませんでした。日本という国は、当時の自分にとって存在感がなかったのですね。
最初から禅というより、仏教そのものに惹かれていたところが大きかったのかもしれません。欧米では禅というと、かっこいいとか、「今ここに成りきる」とか、ゾーンに入るとか、武士や刀といったイメージがありますが、私はそこはあまり魅力的に思えませんでした。逆に釈尊の柔軟心(にゅうなんしん)という柔らかい心を育てる方法に憧れていました。