【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】

 皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「好きな道で生きていきたい」というお悩みにスマナサーラ長老が答えます。


[Q]

 自分の好きなことをして生計を立てている人が羨ましいです。多少収入が減ってもやりたい事にチャレンジすべきでしょうか?

[A]

自分にできるか否かをチェックしましょう


 やりたいことができるなら本当に気分が良いとは思います。でも「私はやりたい」というだけでは決定基準になりません。その前に「できるかできないか」という判断が必要です。自分が才能を持っていて、その仕事をやりたくてたまらないならばいきなりでも始めた方がいいでしょう。例え一時的に収入が減っても、本当に才能があるなら却って増えるものです。しかし「収入が減っても、貧乏になっても、食べ物が無くても、自分がやりたいことをやる」というのはあまりにワガママすぎます。人の役に立たなかったらただ社会の迷惑でしょうに。

 例えば、自分の子供がアレルギーなどの病気にかかって、都会では生活できないから会社を辞めて田舎で農業をやろうとする人がいます。何とか生きていける見通しを立てて、理屈に則って始めた生活だから悪くはないのです。その場合はやりたいか否かではなく、自分の子供が都会の環境に合わないということが理由になっています。親として子供の命を守るのは当然の義務ですから、そういう苦労はありがたいですよ。

 「やりたいこと」という一つの条件だけでは足りません。それが自分にできるか否か、自分はこの世界で一人前になれるかという点もチェックして欲しいです。ただ「これをやりたい」ではなくて「できることをやりたい」という順番で考えた方がいいのです。

人の役に立つ仕事を選びましょう


 やりたいこととやりたくないことという二つの選択肢があるとしましょう。どちらかを選ぶとしたら当然「やりたいこと」を選ぶでしょう。しかしそれは甘い選択です。自分のやりたいことが誰からも必要とされていないものなら、収入にならないどころか、社会から褒めてもらうことすら無いのです。家族にも笑われる可能性があります。ですから「やりたい」という基準だけで生きようとするのは恐ろしいワガママなのです。やりたい、ではなく「役に立つのか」ということが基準にならなくてはいけません。前も説明したとおり、やりたいことが役に立つことであるならばとてもありがたいことです。しかし、まだ問題があります。やりたいし役に立つ、しかし上手にできなくて失敗ばかり……それならやりたいことを選ぶものではありません。

 やりたいし、上手にできて、高収入も得られる仕事があるとしましょう。しかし、具体的にその仕事が詐欺などの反社会的なものだったらどうでしょうか? 世の中には喜んで悪事を働き高収入を得る人たちもいるのですが、あなたは認められますか? 結局は、好きであろうがそうでなかろうが、人の役に立つ仕事を選ぶことです。



出典 『それならブッダにきいてみよう: ライフハック編』