アルボムッレ・スマナサーラ(テーラワーダ仏教(上座仏教)長老)


『ダンマパダ法話全集    第八巻』の刊行を記念し、2023年6月に刊行記念セミナーがオンラインにて開催されました。お釈迦様の智慧を理解し、実践するために、私たちはダンマパダとどのように向き合えばよいのでしょうか。全4回でお届けするスマナサーラ長老のご法話の第3回です。


第3回    「地獄の章」「象の章」を読む


■「地獄の章」306偈

「種々なるものの章」から2つ紹介しましたので、今度は「地獄の章」について見ていきたいと思います。
    冒頭でもお話した通り、「地獄の章」といっても、地獄(niraya)について語っているわけではありません。単に、nirayaという言葉が入っているブッダの言葉を集めただけの章です。「地獄は本当にありますか」とか「地獄なんて嘘でしょう」「地獄というのは宗教的な概念でしょう」「科学的には立証できないでしょう」とか、そういった議論は一切ありません。一般的に「そんなことをしたら地獄に堕ちますよ」という程度の意味で理解していただければよろしいと思います。
    地獄の章の第一の偈、306偈を見てみましょう。

    Abhūtavādī nirayaṃ upeti
    Yo vāpi katvā na karomi cāha
    Ubhopi te pecca samā bhavanti
    Nihīnakammā manujā paratha

    嘘つきは地獄に行きますよ、ということです。嘘つきの定義も書かれています。「何か犯したのに、やっていない」というのが嘘つきです、と。やったらやったと認めなさい。認めないならば嘘つきである。それはnihīnakamma、人間として最低な生き方であるとお釈迦様は仰います。
    格好いい人間社会というのは、嘘をつかない社会、人を騙さない社会です。
    人間は間違いを犯しますよ。人には感情がありますから。
    感情に惑わされてやったことは大体間違いです。だから、自分が間違いを犯した時には、「申し訳ない。私は、間違いを犯しました。謝ります」という気持ちが必要です。認めることが必要なんです。でないと地獄に堕ちます。悪を正当化してはいけません、とブッダは説いています。
    世の中では「戦争は仕方ないんだ。あいつらが悪いんだから」というように、悪行為に対してすぐに弁解をしますね。しかしいついかなる場合でも、悪行為を弁解してはいけない、正当化してはいけない、ということを語っているのが306偈です。

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■「地獄の章」307偈

    次の307偈はこのような偈です。

    Kāsāvakaṇṭhā bahavo
    Pāpadhammā asaññatā
    Pāpā pāpehi kammehi
    Nirayaṃ te upapajjare

    出家してkāsāvakaṇṭhā、黄色の衣を着ていても、心が汚れていて、性格が悪くて、自分の身口意を戒めない人々は地獄に堕ちますよ、悪い結果になりますよ、という内容です。
    ここで説いているのは仏教の因果法則についてです。心が汚れている人に悪い結果が生じるのは当然の結果である。雨が降れば濡れるのが当たり前であるのと同様に、一つ一つの行為にもそれにぴったりな結果が必ず生まれる。それが因果法則です。行為があったのに結果がないということはあり得ません。
    人間が意図的にやる行為には善行為と悪行為があるので、結果も善か悪かということになります。だから悪行為だけはするなよと教えているのです。
    出家にはさらに厳しいことを言っています。「戒律を犯していながら、お布施していただいたものを食べると死後、地獄に堕ちますよ。地獄に堕ちて受ける苦しみと比較すれば、赤くなるまで熱した鉄の玉を食べた方がましですね。結果はせいぜい死ぬだけですから」と戒律を守らないことを、ものすごく厳しい単語で、戒めています。昔の出家は、自分の持ち物は何一つ持っていませんでした。だから托鉢でご飯を一口、二口くらいいただいていたのですが、「戒律を守っていないのならば食べるなよ」とお釈迦様は仰ったのです。
    皆様はこれを聞いて、「ああ、これはお坊さんたちに言っていることだから、我々には関係ありませんね」と思うかもしれません。しかしそうじゃないんです。出家にとっての托鉢は、俗世間で言えば自分の給料に相当します。
    正しく戒律を守っている場合、肉体を維持するために、出家にはご飯をもらう権利があります。同じように、在家社会でも人々は適切な仕事をして、その仕事にふさわしい収入を得るべきなのです。大した仕事もしないで、高い給料をもらったりして誤魔化して生きるのは危険です。禅の物語にもありますね。「一日作(な)さざれば一日食らわず」という言葉が。これは中国のお坊さんの言葉です。
    仏教の世界では、「食べる分は働け」ということが出家、在家共通の決まりごとです。もちろん出家は会社では働けませんよ。出家にとっては戒律を守ることと、心を清らかにすることが仕事です。


■「象の章」320・321偈

    最後の1つ、「象の章」は、nāgaという言葉が出てくる偈を集めた章です。Nāgaには2つの意味があります。1つは竜・コブラ。それからもう1つがゾウさんです。どちらも格好いい生命、皆の模範になる尊い生命です。日本人はコブラを怖がりますけど、インド人はコブラを神様だと思っています。コブラに対してすごく敬意を持っているのです。
「象の章」の最初のチャプターは320・321偈ですね。ここでお釈迦様は自分について述べています。Ahaṃ nāgova saṅgāme、戦場のゾウさんのように、私にはあちらこちらから矢が刺さりますけど忍耐しますよ、と。
    インドでは昔、馬ではなく象に乗って戦争に行っていました。象にはものすごい破壊力がありますのでね。
    戦場に行く象は、特別の軍事訓練を受けます。痛くても我慢しなさい、痛くても攻撃して進みなさい。そういう訓練をするんですね。だから戦場に行って人間の放った矢に刺さったとしても象が泣いて逃げるようなことは決して起こりません。
    そういう意味で、お釈迦様は仰いました。「矢が刺さっても刺さっても、なんのことなく自分の道を進みますよ。象のように忍耐しますよ」と。
    矢というのは、お釈迦様に降り注ぐたくさんの批判を意味しています。「私は人の批判は気にしません。忍耐します」とね。
    ブッダの教えを批判した人々は、知識人でもなく、超越した能力があるわけでもなく、道徳的にできている人でもありませんでした。だから一般人の批判や無責任な言葉はまあ、あまり気にしませんよ、とお釈迦様は仰ったのです。
    321偈では、Dantaṃ nayanti samitiṃ調教した方がいいですよ、と言っています。野生の象は役に立ちませんけど、調教すれば王様の乗り物にもなるくらいの宝物になりますよ、と。
    だから、人間も心を調教して戒めた人がいいのだと、ここでも忍耐を教えているのです。


■おわりに

    そういうことで、皆様もこの本をよく理解したいと思うならば、一つの偈の解説を読んでじっくり時間をかけて理解して、しばらく経ったらまた次の偈を読んでみるというふうにしてみてください。
    それぞれのチャプターは独立していますので、チャプターを1つ理解しようと思うと、それだけで頭にとってはけっこうな重労働になります。1つのチャプターを読んで、考えて理解する。そうすると、知識も増えるし健康になります。実は、仏教に興味を持てば持つほど、健康になるし、長生きもできます。
    そんな感じで本書を読んでいただければありがたいなと思います。


(第4回につづく)


2023年6月14日    zoomにて開催
『ダンマパダ法話全集    第八巻』刊行記念オンラインセミナー
「スマナサーラ長老と『ダンマパダ法話全集    第八巻』を読む」
構成:中田亜希


第2回 「種々なるものの章」を読む
第4回 質疑応答

お知らせ

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読者は多くの気づきを誘発されるに違いありません。
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─序文 釈 徹宗
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【本書の内容

第二十一    種々なるものの章
第二十二    地獄の章
第二十三    象の章
特別掲載    スマナサーラ長老から、東日本大震災直後のメッセージ


お知らせ②

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