雑念に従って作ってしまうと、作品が自分の貧しい想像の範囲に収まり凡庸になる。自我=作為を抑えることで、自分という狭苦しい粋組みを突破し、一本突き抜けたいという意識があります。


想田和弘(映画監督)
(サンガジャパンVol.3 「『精神』監督・想田和弘の精神」)
※肩書は掲載時