桜の花が散るのを見て生きることの儚さを感じたとしてもそれだけで生命の本質を理解したことにはなりません。桜の花を見ている自分自身の心と身体を観察して、それが無常、苦、無我であることを検証しない限り、どこまでいっても「他人事」です。


影山幸雄(翻訳家・医師)
(サンガジャパンVol.32 「テーラワーダ仏教的身体との付き合い方」)
※肩書は掲載時