アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「〝普通の感覚〟がありません」という相談にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
「人間なら普通、先祖への感謝がある」という話を伺って、自分はそんな気持ちを持っていなかったので、とても恥ずかしくなりました。同様に「この問題はみんなできているから大丈夫」という話を聞くたびに、自分はそここそができていないと感じることが多いです。学生時代は成績は良かったにもかかわらず、先生が冗談で「こんな(簡単な)ところがわからない人はいないよな」と聞いてみんなが大笑いするようなところが全くわからないことが多かったです。また仏教の話を伺っている時に、抽象的な話はピンと来るんですが、日常の話だったり現実の話になると途端に頭が働かなくなります。もしかしたら私は、人間なら普通に持つ感覚を学ばずに生きてきたのではないでしょうか。この問題を克服するにはどうしたらいいでしょうか? またこのような問題を扱った経典などがあれば教えて欲しいです。
[A]
■感謝とは学んでインストールする気持ち
自分はちょっと人とは感じ方が違うんじゃないかということですね。じゃあ猫でも飼ってみたら? 鳥やリスでもいいですね。命の波長を感じられるね。
先祖への感謝は普通には無いですよ。それは妄想なんですね。「感謝しなさい」と教えられて身に付くものです。感謝というものはそもそも学ぶものなんですね。最初から心にはプリインストールされていないんです。本来、心はエゴイストで、自分の生存しか考えません。ただ、自分だけが生きることは現実的には不可能だから、「一緒に生きましょう」ということを学ばなくてはいけないんです。本来は無いものです。
世間にはわからないことはたくさんありますよ。皆が笑っていても自分にはその面白さがさっぱりわからないこともあります。自分にとっては楽しくてたまらないことが、他の皆には否定されることもごく普通にあることです。「好みは共通ではない」というだけでしょう?
だから、優しくて他の生命の気持ちも理解できる人間になりたければ、犬猫でも飼ってみてはどうかということなんです。それまでの自由が無くなっちゃって、彼らのために生活の一部を犠牲にして生きていかなくてはいけないでしょう? そうなってくると、相手の気持ちを理解できるようになってきますよ。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: ライフハック編2』
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