中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)
ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。全六章(各章5回連載)のうちの第四章は、まさに宗教の主要テーマとなる“死と終末”がキーワードです。
第四章 死と終末のイニシエーション[3/5]
■セリフ「生まれ変わる」の4つの意味
映画『怪物』には「生まれ変わる」という言葉が頻出します。意味は多義的です。いったいどのような意味でこの言葉が使われているのか、図を用いて整理したいと思います。
作図・イラスト:中村圭志
【第1の意味:覚醒】四月の新学期早々、保利先生は国語の授業で生徒たちに自分の小学生時代の作文を読んで聞かせます。野茂選手に続いて自分もメジャーに挑戦するんだという内容で、西海岸のビーチで素振りをする自分の姿を透視して「僕は生まれ変わったんだ」と言っています(図の①)。
ここでの「生まれ変わる」の意味は、心機一転、人生の新たなページをめくるということです。日本語におけるこの語義は次に解説する「転生」の意からの比喩的な転換だと思われますが、現代において最も普通に用いられているのは、こちらの意味のほうでしょう。英語でもborn-again「生まれ変わった」は宗教的に回心した意味で用いられる言葉で、人生における転換を死んで再び生まれたことに例えた表現です。
【第2の意味:転生】五月の中頃、依里は死んだ猫を見ながら、火葬しないと「生まれ変われない」と言っています(②)。その晩、湊は依里の言葉の影響を受けて仏壇の前で、死んだお父さんは何に生まれ変わったかな、カメムシだったらどうしようなどと言っています(③)。
これらの「生まれ変わる」は、死んで別の存在に変わること、転生を意味します。これは古代から世界中にある神話的来世観です。プラトンなど古代ギリシア人も転生について言及していますが、この思考を最も発達させたのはインド人ですね。ヒンドゥー教徒も仏教徒も、死後の転生を前提とする世界観・宇宙論をもっています。幾度もさまざまに生まれ変わる様子を「輪廻」とも表現します。
伝統的に、生まれ変わる先は動物かもしれないとされてきました。湊も湊のお母さんもそれを前提に話しています。脚本では、湊は暴風雨の場面で、突然馬が出現し、トンネルの中に走り去っていくのを見て、きっと父の生まれ変わりだと考えています。
【第3の意味:終末】五月~六月のある日、依里はビッグランチについて、ある種の宇宙の終末であることを説明します。湊はそれに対して「生まれ変わるんだね」と言っています(④)。
来世(天国)や終末のビジョンについて「生まれ変わる」という言葉が使われることは一般的ではありませんが、ここでは世界終末のビジョンと連動しているところが興味深いですね。もっとも、湊が、宇宙全体が生まれ変わると言っているのか、宇宙が再起動することで、自分や依里も生まれ変わると言っているのかは定かではありません。