アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「プラス思考になるにはどうすればよいのか?」という相談にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

   
すごく執着してしまいます。いろんなことに対して怒ったり、残念に思ったり、後悔したり。こだわりまくった結果、マイナス思考・ネガティブな感情が出てきてしまい苦しいのです。プラス思考に変えたいと思うのですが、実践する方法が分かりません。どのようにしたらいいのでしょうか?
 

[A]


■「失敗して良かった」と思えばいい

    私たちはいろんなことに執着して、いろんなことをやってみるものです。当然失敗したりします。失敗したら「これで良かったんだ」「あぁ、ダメだった」と思っちゃえばそれでいいのです。もし期待していたことが上手くいったら、もっと酷い目に遭っていたかもしれませんしね。
    変な例を出します。若い人が大学に入ろうと頑張ったのですが、全て不合格で、仕方がなく専門学校に入ったとします。それでも「大学に行きたかったのになぁ」「失敗したなぁ」と悩むのではなく、「これで良かった」と思うこと。専門学校できちんと学べば技術も身に付くし、仕事の求人もある。就職活動する必要も無いかもしれません。
    一方、大学で何かの学部を出たからといっても、それだけでは仕事はありませんから、就職活動をしなくてはいけない。それから会社に入ったとしても、また就いた仕事の勉強をしなくてはいけません。その上、自分に能力があるかも分からない。結構ややこしいのです。
    専門学校だったら最初から道は決まっているし、就職して会社に入ったとして、今まで勉強してきたことについて「仕事をしてください」と言われるだけです。だから「失敗して良かった」と思った方が楽なのですね。

■将来は誰にも分からない

    私たちはあれもこれもやりたがる。それは先がわからないからのですね。試してみなくちゃわからないからです。自分の将来がわかっているんだったらそんなに困る必要はありません。
    将来というのは、絶対、誰にもわからないものなのです。理解する方法もありません。そこを良く憶えておいてください。予言者は存在しないのです。聖書の類のものには「予言」「予言者」の話がいっぱい出てくるでしょう。よく読んでみてください。完璧に真っ赤なウソです。ひとつとして当たった予言はありません。
    将来を読みとるのは不可能ですから、私たち一般人は将来がわかったらありがたいなぁと思っているのです。仮に将来がわかって楽かというと、例えば宝くじ、一等はかなりの金額ですね。予めあなたがその当選番号を知ったとしましょう。楽でしょうか?    いいえ、楽ではありません。一等の当たり番号を知っていたとしてどうしますか?    全国を歩いてその番号の宝くじを探しますか?それはあり得ないでしょう。たとえ宝くじの一等の当選番号を知ったとしても意味がないのです。
    そういうことで、私たちは過去にノストラダムスの予言とかを真に受けて、頭がおかしくなっていました。彼は詩人だったようでその能力は認めます。詩を書く人ですから、何でも曖昧に書くのが当たり前なのです。そこで私たちはバカなので、自分勝手に解釈・解説して「予言が当たった!」と思ってしまう。実際にはひとつも当たっていません。

■分からないからこそ、やってみる

    私たちは、今の瞬間から次の瞬間、どうなるかわからないのです。仏教書でなくてもいろんな本――特に若者向けに書いている本を読んでみると、哲学のようなものを面白く書いているのです。いつでも将来のことになると「それだけは絶対にわからない」と書いているのです。書いている人も良く知っているのですね。将来は混沌としていてまだ固定していない。ですからいろんな道がある。いわゆる、可能性がたくさんあるという意味ですね。こうなるかもしれない、ああなるかもしれないという可能性がいくつかあるのです。
    その将来をわからない自分が、あれもやってみたい、これもやってみたい、ということになるのです。ですから、あなたのような若者がやっていることは自然の流れです。あれにもこれにも欲を持って、何かやったら、さらに他のことがやりたくなってくる。それで私たちのような年寄りが、若者を怒鳴ったりバカにしたりするのです。「何をしているんですか?    途中で止めちゃって、でもまた他のことをやろうとするんでしょう」「どうせすぐ止めちゃうくせに」とからかうのが大人の仕事です。親にごちゃごちゃ言われることでいくらかバランスが取れるのです。そう言われても本人は試してみたい。けれど数日で諦めてしまう。それは、私は自然だと思います。
    ですから、あなたのような若者が大人にいつでも怒鳴られたり、バカにされたりする状況も自分のお守りになるのです。よく憶えておいてください。

■ポジティブ思考でなくても大丈夫

    例えば気に入った女の子や男の子がいて、かわいいなと思ったとする。その子が自分に合うかどうかはわかりません。自分と友達になってくれるかもわかりません。それでちょっと挑戦してみる。しかし大失敗。ということは、それはアウトということでしょう。悔しい気持ちもあるかもしれませんが、別の人に挑戦するという方に気持ちを切り替えなくてはいけません。
    そういうふうに迷いだらけで生きることが普通なのです。年を取って30代や40代になってくると、道が決まってしまい迷うことが少なくなるのです。そうなると人生は面白くないのですね。毎日やることが決まっているから、若者のようにワクワクしたり、不安だらけだったりがなくなっているのです。道が決まっていると元気や活発さが弱くなるのです。
    それから、物事はポジティブ思考で見なくてもいいのです。将来のことなんかわからないのに、なぜポジティブに見なくてはいけないのですか?    やりたいことが上手くいくかどうかもわからないのに。

■「日本に来る計画」は無かった

    昔の話ですが、私は日本に来たくは無かったのです。外国に行って研究や活動をしたいと思ってはいたのですが、自分の思考パターンや能力からすると、欧米しか合わないと思っていました。フランクに喋れるし、お互いにすごく理解できる。相手が思っていることが間違っていたら、議論して納得してもらうことも可能です。しかし、日本ではそういう前提が何ひとつ成り立ちません
    日本の文化では、まず根本的に論理的な話は嫌なのですね。曖昧に、中途半端に喋る。そうするとお互いに波風も立たず、ケンカすることもない。「~かも」「もしかすると~」「どうでしょう?」などという会話は私の気に入らないところです。喋るならきちんと役に立つように喋りなさいと思うのです。
    問題は、生命の脳はそんな曖昧で中途半端ではないということです。脳というのは、ものすごく論理的に組み立てられている臓器ですからイエスとノーをはっきりしないと動きません。手を上げるのか下げるのか、水を飲むのか飲まないのか、イエス/ノーがはっきりしないと体は動きません。こんなに曖昧で中途半端に考えている日本の人々が、どうやって厳密に論理的な脳と仲良くしているのか、そこはよくわかりません。
    私が言いたかったポイントに戻りますが、当初は日本に来る計画はありませんでした。しかし条件が揃って日本へ飛ばされてきたのです。いくつか選択肢があったのですが、時間の関係があって日本に来ることになりました。
    それでどうなったのかというと、日本に来たのですから、その時点で「どこの国に留学するのか?」という話は終わったのです。それからは日本に来て良かったと思うのです。本当に良かったどうかということは、未だによくわかりません。
    これが現実です。この道を歩むことになったのだから、この道で頑張るのです。自分で「日本に飛ばされて失敗した。人生台無しだ、なんて私は不幸なんだ」ということはありません。現れた結果としてしっかり受け入れるのです。

■流されたところで、しっかり根を張る

    あなたにとっても同じことです。いろいろと希望があったかもしれませんが、上手くいかなかったことが現状であるならば、それをしっかりとやることです。自分のやりたかった計画でなかったかもしれません。ただ自然の流れで飛ばされただけかも。であっても、そこでしっかりやってみるのです。
    例えば、いろんな植物の種が風で飛ばされるでしょう。その種は自分がいい場所で成長したいと思っていますか?    そんなことありません。どうでもいいのです。飛ばされたところで根を張るのです。それだけです。一旦根を張ったらしっかりと成長して花を咲かせないといけませんね。それが人生なのです。
    ですから、別にポジティブ思考で生きなくてもいいのです。逆でもいい。この世の中は何ひとつも上手くいくわけがない、将来は分からない、といっても行動しなくてはいけません。わかりやすいよう前の例に戻りますが、気に入った女の子や男の子がいても、多分相手にされずダメだろうな、無視されるかな、もしかすると「あっち行け!」と邪険にされるかもしない。そのように最悪の状況、極端にネガティブなことを考えて行動してみればいいのです。
    そうして、「名前は何ていうの?どこから来たの?」と何とか喋りかけてみる。相手に喋りかけただけで、あなたは成功したということになります。日常会話ができただけでも、最悪の状況からすれば成功していることになるのです。その子と友達になりたい、付き合いたいとポジティブ思考をしていたら最悪の結果に陥ってしまうのです。

■「ありのままに観る」が正解

    だいたい物事は上手くいかないものです。それでも「良かった」と言える結果にもっていけるかどうかは、私の行動次第だと理解しましょう。そう思うことが正しい思考なのです。ネガティブ/ポジティブのどちらも良くありません。それはわがままなのです。ネガティブ思考は、怒りで現れる妄想ですし、ポジティブ思考は、欲と自我で現れる妄想です。どちらにせよ妄想は良い結果を出しません。
    俗世間では「ポジティブ思考で頑張るぞ!」とくだらないことを言っていますが、世間は流れるのでネガティブもポジティブもありません。大震災はネガティブですか?        違います。あれは自然の流れなのです。洪水や地滑りなどはネガティブですか?そんなものにネガティブもポジティブもありません。物事の流れなのです。あなたがどのように対応するか、というところで、あなたの点数が決まるのです。
    ですから、物事はネガティブやポジティブではなく、「客観的に観る」「ありのままに観る」ということが正解なのです。ということで、頑張ってみてください。
    将来がわからないのですから、あなたにはこれからもいろんな悩みが出てきます。いろんなものに執着してしまったりする。それは別に気にしないでください。客観的に観ることができれば、そこまで悩んで苦しくなることはないでしょう。

■悩むのはそこに選択肢があるから

    歳を取ると選択肢が消えていくものです。私の歳になるとできないことがいっぱい出てきます。あなたのような若者ができることは幅広いですから、その分悩みも多いのです。年寄りには諦めたくなくても諦めなくてはいけないものがいっぱいあります。選択する幅が狭いのですね。
    例えば、誰かが私に「富士山に登りませんか?」と誘ったとしましょう。私は富士山に登ったことはないけど、「やめておきます」と断るのです。なぜかというと、もう体が弱くて、二日間とか筋肉を疲労させることはできない、耐えられないからです。
    しかし、友達が若いあなたに「富士山に登りましょう」と誘ってきたら話は別です。「登りたい」と思ったとしても、いろいろ登れない条件が出てきて……金が無いとか、バイトを休めないとか、他に用事があって行けないとか、それがあなたにとっては悩みになるのですね。体力的には登れるからです。
    あなたにとっては登山の練習をしたり、服や靴を用意したりして、いろいろと準備することが面白い。しかし、私にとっては、そういう楽しみなどは最初からカットされているのです。そんなものです。
    それに、選択肢がたくさんあったとしても、結局はひとつしか選ぶことができません。将来はわからないから選べないのです。ですから、「飛ばされたところで根づく」ということになります。過去もそうだったし、今もそうでしょう。将来も同じことなのです。


■出典      『それならブッダにきいてみよう:こころ編1」

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