シュプナル法純(僧侶)

後編「坐禅指導と菩薩行」


■師匠とぶっつつぎ

    村上光照老師は師匠の澤木興道老師の教えに迷わずに随い、教わったことをそのまま、他の人に伝えようとしました。澤木老師の人生についても、さまざまな逸話をなつかしく語っていました。接心の時も、接心でない時も、懐かしく、澤木老師の偉さを讃えていました。
「澤木興道老師に初めて会ったとき、大変感激してね。どうしてこんな方がこの世に現れるのだろうと不思議に思い、自分に問い続けた。答えは、こんな人が世の中にいるなんてありえない。そこで、それまでやっていたことをすべてやめて、老師のところへ飛び込んで、老師のもとで坐禅をしようと決心した」
    村上老師の接心に参加した多くの人も、村上老師に初めて会っただけで、まったく同じ思いを抱きました。
    一人の参加者は後にその時のことを次のように思い出します。
「村上老師は、接心中の提唱では、師匠である澤木興道老師の思い出をしばしば持ち出した。澤木老師の教えを私たちに伝え、澤木老師について語るとき、そこには並々ならぬ感謝、献身、感動が感じられた」


■肛門を真後ろに向けろ

    接心が始まる最初の日は、村上老師がいつも自分の体をモデルにしながら、参加者のみなさんに正しい坐相、坐禅の姿勢をやかましく指導をしました。次の年も、その次の年も、同じように、最初から、初心を以て、坐禅のやり方を丁寧に説明されました。わざわざタイのスコータイ歴史公園のワット・マハタート遺跡で撮られた仏像の写真を持ってきて、師匠の澤木老師の坐る姿の写真に比較し、
「二つの写真を見ればわかるように2500年たっても、坐禅というのはちっとも変わらずに伝わっておるんです。老師は弟子のどこを見ているかというと、その弟子の坐禅の姿を見ているのです、と澤木老師に教わりました」
そして、師匠の口伝として、
「肛門を真後ろに向けるような気持ちで坐るのだ」
と笑いながら言っていました。

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村上老師が持参していたスコータイの仏像の写真
    また、みんなが坐禅堂で集まって坐禅している間に老師が入るとき、一人一人の坐相を見て、しばらく立ち止まった後、「このままではいけない」といい、一人一人に順番に近づき、背筋をしっかりと伸ばして下さいました。
「うっかりすると坐禅の気分に酔ってしまって、自分の殻の中に閉じ込もった坐禅になってしまうぞ。いつも『自分』というものを捨て、そして『自分』というものを捨て、更に『自分』というものを捨てて、仏さまに向かって行くんです。それが坐禅です」
    2003年にも老師はポーランドを訪れましたが、その時には接心がありませんでした。その代わりにヴロツワフ市の禅センターで坐禅会が行われました。小さな坐禅堂でしたが、27人も参加しました。老師の顔を見るために、そして坐っている姿勢がしっかりと背筋がまっすぐになるように老師に正してもらおうと。老師は坐っている人を力強く傾け、背筋がまっすぐになるようにギュっと上に引き上げました。その時のことを、のちに、坐禅のあるべき姿勢を教わった、今日まで忘れられない瞬間だった、という人もいます。
   
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2008年のポーランドでの接心の様子

■大いなる哉、解脱の服

    老師は接心の提唱のときに必ずお袈裟の不思議な働き、その功徳を強調し、讃えられました。自分の纏(まと)っているお袈裟をみんなに見せながら、その由来、意義を、このように説明していました。
       
    このお袈裟には深い意味があります。このお袈裟をつけた人はもう迷うことはなく、なんどか生まれ変わるうちに、必ず悟りを開くという深い意味があります。どの仏さまも、どの仏さまも、必ずお袈裟をつけて坐禅をしました。この仏衣、お袈裟に包まれることによって、確実に修行が守られます。それで菩提達磨(ぼだいだるま)も、代々の祖師も、必ずお袈裟をつけたのです。のちにお袈裟が乱れまして、ずいぶん間違ったお袈裟が始まると同時に仏法も乱れ、間違った仏法が広まるようになりました。お袈裟が正しくなると、不思議に仏法が正されます。実は、このお袈裟には仏さまの魂が籠っておりまして、不思議な働きを現じます。

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お袈裟の着付けの見本を示す村上老師
    老師は、仏法とは、けっしてただ坐禅するだけではなく、その根本としての戒律が大切だといつも強調していました。本当の宗教者としての坐禅を指導されました。接心の最終日の授戒会のときに多くの在家弟子たちが老師に菩薩戒を授けてもらいました。ポーランドだけで、村上老師から72人も授戒を授かりました。拙僧もその中のひとりです。2004年の接心において村上老師に在家得度を授けていただきました。戒を授けてもらう者が、みな、手縫いの五条衣(絡子らくす)を頂戴いたしました。そのことを思い出して一人の参加者がいいました、

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2004年に村上老師が戒を授けている様子
「私たち一人ひとり、たとえ物理的に遠く離れているポーランドにあっても、ご老師が私たちのことを思い、祈ってくださっていることを私たちは感じていました。
    遠く離れたポーランドの弟子たちに老師が献身的であったことの証に、授戒に参加する人たちのために絡子を縫うことを企画したのです。 老師に頼まれた年配の日本女性が、自分の人生の数時間を犠牲にして、知り合いでもない、おそらく一生会うこともないであろう知らない人のために縫ってくれた絡子を目の当たりにして、私は老師と老師が私たちのためにしてくださったすべてのことに深く感謝しました。」

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受戒した筆者に授けられた絡子

■コルベ神父に憧れて

    老師はポーランドの国とその文化に興味もあったので、2003年に観光でポーランドを訪れました。その時は接心がなかったので、老師はポーランド南部のアウシュビッツの強制収容所を訪問することを強く求められました。日本からの絵葉書で、アウシュビッツへ連れていってもらいたいと書かれてありました。
    なぜ老師はアウシュビッツへ行きたかったのか。それは、他者のために命を捧げたマクシミリアン・マリア・コルベ神父の跡を見たかったからだとのことでした。コルベ神父は、第2次世界大戦時にドイツ軍のポーランド侵攻により、アウシュビッツ収容所に収監されました。
    ある日、アウシュビッツ強制収容所から脱走者が出たことにより、罰として無作為に10人の囚人が選ばれ、食事を与えずに餓死させられることになりました。囚人たちは一人一人番号で呼ばれていきましたが、一人のポーランド人軍曹が「私には妻も子もいる!」と泣き叫びだして、彼の声を聞いたコルベ神父は、「私はカトリック司祭ですから、妻も子もいません。彼の身代わりになります」と申し出たのです。
    それで、コルベ神父が9人の囚人と一緒に地下牢の餓死室に押し込められました。彼は他の囚人たちに声をかけ、歌を歌い、最後まで人間らしく励まし合って2週間も過ごしました。それでもなお、コルベ神父は餓死せず生きながらえたため、最後には毒を注射され死んだのです。

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アウシュビッツにて(手前、村上老師)
    老師が、コルベ神父に興味を持ったのは、もう一つ理由があったかもしれません。コルベ神父は1927年にポーランドのポズナン市へ行く電車の中で、マリア像を見ながら「この女神は誰だ」と不思議な顔をしていた若い日本人たちに出会い、そのことがきっかけになり日本へ布教師として行きたいと願ったそうです。その後、日本へ布教活動に行くことになりました。長崎に向かう船の中で、コルベ神父は日本語を一所懸命学んでいました。上陸して一ヶ月後にポーランド人の宣教師達が、日本語による「聖母の騎士」という雑誌を編集発行し、のちに「無原罪の聖母の園」という修道院を開き、フランシスコ会らしい清貧生活を営みながら布教活動に専念していました。
    老師自身も、日本人の宗教者の一人として、今度、欧州で仏法を広めるという深い思いが共通していたに相違ないでしょう。
    老師が、コルベ神父の行為の中に地蔵菩薩の姿を見て、アウシュビッツをどうしても尋ねたいと何回もいい、そして大地禅師の発菩提心について提唱された時の言葉はこうでした。最後にご紹介したいと思います。

「大智禅師の発願文にね、生まれ変わり、死に変わり、どんなところへ生まれても、いくところ、いくところ、仏さまの光を掲げて、広く諸々の衆生を救わんと。菩薩行ね。たとえ地獄に落ちても。鑊湯(かくとう)炉(ろ)炭(たん)のうちと言ってね。仏さまの一番眼目をいつも担ってね、どこへ生まれようとね、堂々とね、菩薩として衆生を再度していくんだ。地蔵菩薩はね、一番人が嫌がる、一番怖い、地獄に自ら飛び込んでいく菩薩なんですよ。もしその人がひどく苦しんでいるなら、私はその苦しみを変わってやろうという。この地蔵菩薩。
    昨年、私はどうしてもコルベ神父さんの心を拝みたいと思って、アウシュビッツに連れていっていただいた。ああ、本当にコルベ神父の心に地蔵菩薩が飛び込んでるね。そして自ら飢え死の刑になるでしょう。その人を恨むわけじゃないけど、ナチスを罵るわけじゃない。ただ悲しんでおられる。自分の罪の深さを悲しんでおられる。イエス様も、十字架にかけられて。人類全体の罪を悲しんでいる。誰も恨まない。清々しい心で刑を受けられてね。ああいう具合で地獄に飛び込んでいくの地蔵菩薩は。コルベ神父さんの行いはそれを実現してるね。なんでもやれるんです。どこへ行っても悪いことがない。勇気を持って、自分が嫌なことであっても、それをやってあげるのは菩薩だから。菩薩というのは、自分が苦しくなるし病気になるかもしれないけど、勇気を持って人に代わってやってあげる、と。その力は、当然坐禅から湧いてくる。『只管打坐』は大光明だ。地獄にあろうが、畜生にあろうが、天上にあろうが、どこへ行っても仏法の光明を輝かしていくんだ。これさえ決まれば、どこに生まれても、何のこともない。仏さまの光を担っていきましょう」

(了)


写真提供:シュプナル法純
ヘッダー写真:村上光照老師(編集部)、シュプナル法純師(横関一浩)



前編「ヨーロッパでの村上光照老師」

『DAIJOBU─ダイジョウブ─』

村上光照老師の晩年の7年間を記録した映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』が9月9日(土)より公開されます。村上老師とともに描かれるのは、撮影当時はまだ現役のヤクザの親分で、ヤクザと人権問題をテーマとして話題となった2015年の映画『ヤクザと憲法』に出演した川口和秀氏。二人の出会いとその後が描かれたドキュメンタリーです。

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【公式ホームページ】
http://daijobu-movie.net/
出演:村上光照、川口和秀
プロデューサー:石川和弘
監督・撮影・編集:木村衞
サウンドトラック:笹久保伸
エンディングテーマ曲:細野晴臣「恋は桃色」
ナレーション:窪塚洋介

【劇場情報】
●新宿K'Sシネマ
2023年9月9日(土)~
https://www.ks-cinema.com/

●大阪    第七藝術劇場
2023年10月7日(土)~
http://www.nanagei.com/

●アップリンク吉祥寺
10月公開
https://joji.uplink.co.jp/

●横浜    シネマ・ジャック&ベティ
2023年10月21日(土)~
https://www.jackandbetty.net/

●名古屋    シネマスコーレ
近日公開
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/

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