アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

 皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「修行に属性は関係ある?」というお悩みにスマナサーラ長老が答えます。


[Q]

 在家で生活しながら修行を進めて阿羅漢果にまで達することはできるのでしょうか? また、修行することに性別は関係ありますか?



[A]

■修行は出家・在家に関係なく執着をなくしていく道

 まず言えることは、修行することに性別はまったく関係ありません。性別というのは、ただ身体の差のことだけであって心には関係ありません。
 次に「在家で生活しながら~」という部分の質問は引っかけです。「在家で生活しながら」というと、何か在家生活に執着しているように感じます。少し答え難いのです。「仕方がなく在家生活しなくてはいけなくなっているのですが、それでも阿羅漢果に達することができますか?」と訊いたならば、答えは「はい」です。では、仕方がなく行う在家生活とはなんでしょうか? たとえば、私たちは呼吸しています。息を吸ったり吐いたりしている。それから喉が渇いたら水を飲みます。当たり前にやっていること、そこに特別な執着は働いていません。生きているからやっているのです。そんな程度で軽く在家生活をしながら、「どうしても真理を発見したい」ということで修行していくと、阿羅漢果にまで達する可能性はあります。阿羅漢果に達したら、もう在家でいることはできません。その人は必ず出家するしかないのです。そのような人がいて比丘サンガに出家を申し出たとしたら、比丘サンガは出家を断ることもできません。その人は正式的に衣を着ていなくても、どうしても出家生活になるのです。しかし、正式的に比丘になった方が人類の役に立ちます。以上です。
 


■出典 『それならブッダにきいてみよう:さとり編2』 

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