来たる2021年12月4日と12月11日に、ネルケ無方師(禅僧)と前野隆司先生(慶應義塾大学大学院教授)によるオンラインセミナー「生と死を考える」が開催されます!
幼少の頃から生きることに絶望し、坐禅に出会って生への希望を見出したドイツ人の禅僧ネルケ無方師。7歳でお母様を亡くされたネルケ無方師は、幼い頃から「いずれ死ぬのに、なぜ生きなければならないのか」と疑問を持たれ、子ども時代から生きることに苦悩されてきました。お父様や学校の先生に相談しても答えをはぐらかされて解決には至らず、16歳に偶然出会ったお釈迦様の教えに救いの道を直感し、日本へと禅修行に旅立たれました。
ネルケ無方師の「生と死」への問題意識はどのようなものだったのでしょうか?
オンラインセミナー当日のお話の導入にもなる、ネルケ無方師による「生と死」ついての探求を「オンラインセミナー開催記念特別コラム」としてご紹介します。今回のテーマは「生死の境目はどこにあるのか?」です。
■寿命のトランプカード
死なない限り、死が何かはわからない。
死んでから、この世に戻った人はいない。
死について語るとき、そのようなことがよく言われます。しかし私には、そのように言い切っていいものなのかどうか、いまひとつわかりません。輪廻転生という言葉があるように、ひょっとすると私自身も永遠の昔から何回も何回も死を体験してきたのかもしれませんが、私には前世の記憶が何もありません。
死とは何か。ここでまず考えてみたいのは、私たちが「死」という言葉を使うときに、いったい何を指しているのかということです。
人生をトランプのカードに例えて考えてみましょう。
生まれたときに、トランプのカードの山を渡されて、毎日毎日1枚だけカードを出すのが人生だとイメージしてみます。自分自身がトランプのカードを何枚持っているかは、実際に死んでみないとわかりませんが、日本人の今の平均寿命で考えてみると、生まれた時点で3万枚以上のカードを持っている人が結構いるということになります。それより遥かに少ない人もいれば、中には4万枚近いカードを持っている人もいるでしょう。4万枚ですと110歳まで生きることになりますので、そこまで多く持っている人はなかなかいないと思いますが、大体、3万枚ぐらいは平均して持っているということになります。
それを毎日毎日1枚ずつ出していくわけです。最後の方になって、底が見えそうになってきて初めて、死ぬ実感みたいなものが湧いてくるのではないかと思います。私は今年(※2015年当時)で47歳ですから、もし平均寿命まで生きられるとしても、既にトランプのカードを半分以上出し終えているということになります。
カードを半分以上出したからと言って、私に死ぬ実感はまだまったくありません。最近になって初めてぎっくり腰や五十肩になりました。昨年は岩波文庫を読書中になんだか字が見えなくて「なんでだろう? 暗いのかな」と不思議に思っていたら、妻に「老眼じゃないの?」と指摘されて老眼鏡を使うようにもなりました。ですから、もう人生の後半戦に来たという実感はあります。しかし、死ぬ実感というのは正直言ってまだ全然ないのです。
さてここから死の定義について、グラフを使って考えてみたいと思います。
図1のグラフでは、3万枚のカードの山が尽きた時点をゼロで示しています。
まずこのトランプの最後のカードを出す時点(①)を指して死と呼ぶことがまずあるでしょう。あるいは、カードを出し終わった時点から永遠に続く状態(②)、これを死と呼ぶ場合もあると思います。また、仏教の教えの一つである四十九日の中陰の話を参考にすれば、次の生を得るための四十九日の間(③)、これを死と呼ぶ考え方もあると思います。 ■死はいつから死なのか
以前、「脳死・脳判定」というキーワードでインターネット検索してみたときに、『救急医学からみた脳死』というサイトがヒットしました。脳死と判定するための基準はいくつかあるのですが、その基準の一つに最低30分間脳波を計測して、脳波がずっと平坦であることが挙げられていました。
脳死であれば、感度を最大に上げて測定しても、脳波は平坦になっていなければなりません。ときどき脳波に棘(きょく)状に小さな起伏が出るのですが、それは脳の活動によるものではなく、心電図の影響だそうです。これが脳死の状態です。
このサイトには、実際に脳波を計測した図が掲載されています。
サイトから引用した図2は、正常な状態と植物状態、そして脳死の脳波を比較しています。見てみますと、脳死の場合、確かに脳波が平坦でときどき棘のような起伏が出ているのがわかります。しかし、一番下のグラフを見てください。3つとも平坦に見えませんか。正常な状態と植物状態と脳死の脳波が3つともほとんど同じ形をしています。少なくとも私だったら、この一番下の脳波を見て脳死とそれ以外を区別する自信はありません。
おそらく最先端の医学でも、この瞬間から脳死だ、と言い切ることは難しいのでしょう。だからこそ脳波を最低30分は測定し続けるのだと思います。しかも確実に判定するためには六時間おいて、もう一度測定するのだそうです。
つまり脳死判定の場合、この一点が死の瞬間だと、なかなか突き止めることはできないのです。たとえ脳死であっても、まだ体は温かいですし、心臓も動いている。側にいて、まだ生きていると感じる人も多いでしょう。
死を感じる瞬間というのは人によって色々だと思います。人が逝く瞬間を感じた人の話も聞いたことはありますが、別に脳死でなくても、この一点が死であるとか、この一点よりあとが死であるとか、生死の境目を明確に感じる人は少ないのではないかと思います。
──この続きは、オンラインセミナーでの講演をご期待ください!(編集部より)
※本記事は『僧侶が語る死の正体 死と向き合い、不死の門を開く、五つの法話』(共著、サンガ、2016年)の第一章「生死の微積分」(ネルケ無方)から抜粋したものです。
<お知らせ>ネルケ無方師×前野隆司先生「生と死を考える」
クリスマスを迎えるこの時期に、仏教とキリスト教、そして宗教と科学を比較しながら「生と死」について一緒に考えてみませんか? ネルケ無方師が語り、前野隆司先生とともに考える「生と死の世界」。全2回の連続オンライン講座でお届けします。
オンラインセミナー開催します!
■第1回 仏教とキリスト教における生と死
〔講演〕ネルケ無方
〔日時〕2021年12月4日(土)13時30分〜
■第2回 宗教と科学における生と死
〔対談〕ネルケ無方×前野隆司
〔日時〕2021年12月11日(土)13時30分〜
★第1回(12/4)はネルケ無方師の単独講演、第2回(12/11)はネルケ無方師と前野隆司先生の対談講演です。〔オンラインzoomミーティング開催〕
【受講料】
①5,000円【全2回視聴チケット】*セット割
②3,000円【各回視聴のみ】
■主催 株式会社サンガ新社
★お申し込みは以下のPeatixから ↓