石川勇一(臨床心理士、公認心理師、相模女子大学人間社会学部人間心理学科教授、行者)
第2回 編み出した修行の要諦
11.信と決定心が修行を決める
私は、修行がどうなるかは修行を始めるまでに少なくとも70%くらいは決まっているように思います。修行の成果はさまざまな内外の要因の縁起によって決定されますが、そのなかでも心の準備はもっとも重要な要因です。心のなかに、正しい理解に基づく信(サッダーsaddhā)と修行に対する決定心(アディツターナAdhiṭṭāhna、必ず目的を達するという強い決意)が整えば、必ず修行の道は開かれるのです。
修験道の開祖である役行者([えんのぎょうじゃ]634~701年)は、「誠心の信心を以て峰に入れ、聖は静として遂ぐ、不聖は怖れとして止まる。王世の縛に拘わらず、唯だ山伏の道を事業とせよ」と語ったと伝えられています。現代語に訳せば、「まことの信心をもって峰に入りなさい。まことの信心がある者は、修行に妨げが入りません。まことの信心がない者は、怖れの心が生じて修行に妨げが入ります。世間の考え方やあり方に縛られることなく、ただ山伏の道を中心にして生きなさい」という意味だと思われます。これをさらに初期仏教の文脈に置き換えてみれば、「ダンマに対する理解に基づく澄み渡った確信と信頼をもって修行に励みなさい。そうすれば修行が妨げられることはありません。正しい信がないと、心が揺らいで修行が妨げられます。世間の常識や人々のいうことにとらわれず、ひたすらに仏道を歩みなさい」ということになるでしょう。
修行に取り組むさまざまな人を見ていて、この役行者の言葉はなるほどその通りだと得心がいきます。正しい見解に基づいた修行への熱い思いがある人は、必ず修行ができるようになっており、それは誰にも止められないのです。一方で、邪な見解をもっていたり、修行への熱意や決意のない人は、横道に逸れるか、さまざまな障害が生じて修行できなくなってしまうか、修行の場が与えられてもいずれ行き詰まってしまうという現実を私はあちこちで見てきました。私は今回の人生ではじめて本格的な修行を行ったのは修験道でしたので、仏弟子である役行者は偉大なる先達であり、仏縁をいただいた法友と思って恭敬しています。