アルボムッレ・スマナサーラ  

新型コロナウイルスの出現による様々な困難に、2600年前から続く仏教は、どのような思考で向き合うのか?    私たちがこれからの時代を幸福に生きるために必要なお釈迦様の智慧をスマナサーラ長老にお尋ねした。  

第3回    感情ウイルスの抗体② 

■考えすぎには注意

 
    見聞きした情報が、“事実”なのか“感想”なのか分析したり、問いを立てたりするときには考えることがある程度必要になります。しかし、その場合にも注意が必要です。考えるときには必ず自分の気持ちが入ってしまうからです。それがとても危険なのです。人は好き勝手に考えるものなので、思考した内容を自分の好きな方向へ捻じ曲げたり、嫉妬・憎しみ・怒り、政治的な先入観などに従って、それに都合の良い方向に捻じ曲げて考えてしまいます。
 
    世の中には、陰謀論好きの方がけっこういるでしょう。陰謀論にハマると、何でも陰謀で成り立っているように見えてくるのです。私にもそういう妄想はできます。たとえば、「コロナウイルスは中国の陰謀だ!」と考えるとしましょう。「中国は世界大国になりたくて、アメリカとヨーロッパの経済状況を潰したくてコロナウイルスを開発したのだ」とね。これは私が今、妄想で作った「中国陰謀論」ですが、それに対して私自身で反論を出すこともできます。生物兵器を作る場合は、同時に必ず解毒剤を作ります。その二つはセットです。生物兵器を使うためには、攻撃する側が被害を受けないようにしなくてはいけませんから、解毒剤も同時に同じ工場で作るのです。しかし、実際は中国も自らコロナウイルスでやられてしまったし、中国製のシノファームワクチンも効きめがあまりないと言われています。ですから、「中国陰謀論はあてにならない」というところに落ち着きます。完全に却下とまではいかなくても、「あてにならない」という結論には達するのです。
 
    世にはびこる陰謀論に限らず、私たちが「考える」ときには、様々なゴシップからデータを取って、自分の好み・気持ち・先入観などに合わせて好き勝手に捻じ曲げてしまうものなのです。ですから、考える場合には細心の注意が必要です。