アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「子育ての目的は何なのか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。


[Q]

    
そもそも子育ての目的とは何なのでしょうか?    どうすれば「親の責任」を果たしたことになるのでしょうか?

[A]

■卒業証書をあげるまでが義務・責任です
    
    子育ては、そんなに大変なことではないんです。ただ、愛情が入ると疲れます。子供が一人前になったら、親の財産を受ける権利はないのです。子供は自分の力で生きていかないといけません。親は自分が築いた財産を、子供に相続させる義務はないし、子供も親の財産をあてにしてはいけない。親子関係とはそんなものです。親の義務・責任というのは、子供を一人前に育てて「はい卒業」と卒業証書をあげることです。

■私の子供は「人類の子供」です

    仏教的には〝私の子供〟はいません。もっと大きな人類の子供なのです。子供は人類のメンバーですが、まだ正会員になれない状態です。「私の仕事は、この子を一人前の会員にしてあげることだ。そのために人類から預かっているだけだ。人類の一員として立派に育てるのだ」と考えることです。「立派な日本人として」でもダメです。日本がもし潰れても、どこでも生きていられるように育てないといけません。時々、親が自分の好きなように子供を育てる例がありますがあれは犯罪です。あくまで人として、人類の中で立派に生きられるようにしないといけません。
    この発想が無いから、日本でよく起きているのが残酷な「いじめ」です。いじめ事件のニュースを見るたびに、人間失格のことをしていると思います。
    それから、お母さんがよく「知らない人と話してはダメ」と躾けしているでしょう?    あれは、絶対に言ってはいけない言葉です。「知らない人と話すな」ということは「人類と話すな」ということですよ。親が子供を人類から切り離して牢獄に閉じ込めることです。自立できない引きこもりを育てることです。それは犯罪行為です。子供には、「知らない人でも、目上の人に自分から挨拶しなさい」と教えなければいけません。

■親の仕事は子供を独り立ちさせること

    親の仕事は子供を独り立ちさせることです。しかしそれはもっともしづらい仕事になっています。「私の子供」と執着して子供に反発されることになってしまう。子供の本能のプログラムには「親に依存しろ」とは書いてありません。「自立して生きろ」と書いてあるのです。まだ幼い時は、そのプログラムが機能しないだけです。(ですから、親孝行は本能のプログラムに入っていないのです。親孝行は、敢えて育てるべき道徳です。子供が小さいうちから頭に叩き込まないといけません。)
    親が最初から「子供は社会の一員だ」という意識で育てていれば反抗など起きないのです。時期が来ればさっさと離れるだけ。親が子供を社会に出そう出そうと育てると、離れて初めて、子供は親の苦労を理解するようになるのです。


■出典     『それならブッダにきいてみよう:教育編1』

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