アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「正語とコミュニケーション」です。

[Q]

    法話で「人間にとってコミュニケーションは必要不可欠で、コミュニケーションが不足すると精神状態が獣レベルまで落ちてしまうことがある」と聞きました。八正道のひとつ正語とは、生命を傷つけないで調和を保ち喋ることだと理解しました。日常生活で気づきを意識してやっていると、自分の喋っている言葉の大半が貪瞋癡(むさぼり、怒り、無知の三毒)の衝動から来るものだと気づきました。自ずと言葉数が減り、同時にコミュニケーションも減ったようです。正語の実践として、冗談を言ったり他者と積極的にコミュニケーションを取った方が良いのでしょうか?


[A]

■実践として意識する愛語の意味

    正語について、実践の解決策としては「愛語(peyya-vajja)」という道徳を守ることです。愛語というのは、恋人同士の言葉という意味では無く、言葉を聞いた人が明るくなる、気持ち良くなるという感じです。喋る時には貪瞋癡に気をつけることは普通ですが、それだけでは足りません。貪瞋癡では無く不貪不瞋不癡ということで愛語を実践できます。愛語を意識して、人が楽しくなるような言葉を喋るのです。ひとつ日常で使える訓練のやり方を教えましょう。

■まず相手の存在を認めること

    まず相手を認める・褒めるということをするのです。会ったばかりの相手のことを厳密に調べて褒めることはできませんが、基本的な部分について認めてあげる。そうすると、それだけでも人は気分良くなるのです。日本文化では簡単です。「それ、いいですね」「すごいですね」という一言を使えば実践できます。そこから愛語を始めるのです。愛語について研究する必要はありません。人間は誰も自分の存在を認めて欲しいから、他者から認められると喜びます。
    しかし、私に対しては認める・褒めるという実践はしないでください。逆効果になります。出家は世界から褒められること・フィードバック(軌道修正)を求めていません。これも理解しておいてください。出家に必要なフィードバックは、お釈迦さまがすでに指導してくれています。出家に対するお釈迦さまの叱りは、結構厳しいものです。

■愛語で信頼を築く

    世間はそうではありません。皆が自信を持って生きているわけでも、確信を持って喋っているわけでも無いのです。そこで愛語を実践します。まず自分の生きている文化に合わせて、相手を認める・褒めてあげるのです。しかし、認める・褒めるといってもやり過ぎは悪行為になります。決して相手を褒め称え、おだてることになってはいけません。相手が明るくなる程度で充分で、バランスよくやれれば上手くコミュニケーションできます。周りが自分の愛語によって、明るく楽しい雰囲気になる場合は、相手とのコミュニケーションも深くなっていきます。信頼関係ができてきます。それがひとつ。

■次に 相手に尋ねてみること

    それから、もうひとつは自分が知らないことを、遠慮せずに相手に訊いてみるということです。「これはどうしたらいいですか?    教えてください」と相手を頼ってみる。相手は頼られるととても気分が良くなるのです。

■愛語とは 相手が明るくなる言葉の使い方

    世間的な段階として愛語を実践してみる。相手の気持ちが明るくなるように言葉を使ってみる、喋ってみるのです。例えば普段の会話でもイントネーション(抑揚)ひとつで、相手に自分の気持ちを伝えることができます。ですから、発言には気をつけた方がいいのです。たったひとつ「え」という言葉でも、使い方によって印象が全然ちがいます。相手が何かを言う。それに、つまらなさそうに「え↘︎」と言うのと、興味があって「え↖︎」と言うのとでは、相手の反応が違います。そういう単純なところから、言葉(道具)の使い方を学んだ方がいいと思います。

■言葉の使い方もひとつの技術

    世の中では単純に、コミュニケーションを取るためにただ喋ればいいと思っていますがそうではありません。言葉の使い方も、ひとつのテクノロジー(技術)なのです。お釈迦さまは明確に「嘘(妄語)を言わない」「無駄話をしない」「仲違いさせる言葉を言わない」「粗暴な言葉を使わない」と教えてから、あとはどうぞ喋ってくださいと言っています。喋ることを禁止していません。経典を読んでみると、お釈迦さまもよく日常会話をしていました。経典では定型句が多いので、皆さんが読んだとしても日常会話をしていたように感じないかもしれません。お釈迦さまも人々に「元気ですか?」「家族はどうしていますか?」「仕事は順調ですか?」と尋ねられたりしていました。普段、一般的な人々が喋る内容をお釈迦さまも喋っていたのです。それから本題に入っていくのです。
    一般人がお釈迦さまに近寄って来て、いきなり「お釈迦さま、質問があります」と声をかけること、これは変な感じです。そばに寄ったらまず合掌して挨拶をして、「お釈迦さま、お元気ですか?」「体調はお変わりありませんか?」「今、よろしいでしょうか?」などの日常会話をします。お釈迦さまもそれに答える。それから「あなたは何をしに来たのですか?」と訊かれて、それから説法や対話が始まるのです。特に人間関係の場合は、潤滑油としてコミュニケーションというものが必要になります。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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