アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「日常生活でいかに気づきを保つか」です。

[Q]

    瞑想初心者です。日常でのヴィパッサナー実践において気づいたことに逐一ラベリング(実況中継)をしていくと、言葉が追いついていかなくなり、ただ雑で散漫に言葉を張り付けているだけということになり、その状態にハッと気づくことがあります。こういう場合ラベリングはしないで、ただ心身の感覚を感じ取るという方法をとっても良いでしょうか?


[A]

■言葉という道具を使って気づき、妄想を止める

    瞑想の世界では、その問題はよく知られています。だからといって、言葉を使わないで良いかというと、これは危険なのです。言葉を使わないと脳が勝手に妄想をし始めるのです。
    瞑想でラベリング・実況中継をする場合、一般的な言葉(general terms)を使ってラベリングをすることが大切です。その場合も、シンプルな動詞だけを使うのです。もし適切な言葉が出てこない場合は、ラベリングを止めるのではなくて、「感じている」「動かす」「上げる」「下げる」「伸ばす」「引く」「つかむ」「放す」「回す」といった大づかみの、単純な言葉に立ち戻ってラベリングを続けたほうが良いでしょう。
    身体の動きはもともとシンプルです。細胞単位で見れば、伸び・縮みだけです。瞑想に慣れて巧みに気づき、真理に近づいて来ると、言葉の問題はキレイに消えます。現象世界にいる時は、妄想・思考・判断するなどの複雑な行為をしなくてはいけないので、たくさんの言葉を使う必要が起きます。しかし、現象の世界を離れて、シンプルに生きることのみを観察すると、大量の言葉を使う必要は無くなります。生きることは本来、とてもシンプルな行為の流れです。思考・妄想という蟻地獄に嵌ると、生きることは理解不可能で宇宙的な秘密であるかのような錯覚を惹き起こしてしまいます。その時は、膨大な量の言葉が必要になります。しかし、言葉は人を助けてくれません。
    瞑想実践では、「生きることとは何?」と、とてもシンプルな行為のところから観察を始めます。膨らむ、縮む、上げる、運ぶ、下ろす、取る、放す、止まる、などの言葉で充分です。
    ということで、できるだけシンプルで基礎的な単語でラベリングした方が良いと思います。「気づいたことに逐一ラベリングをしている」ということですが、いろいろと細かな名詞とか専門用語に引っかからないで、まずは楽にラベリングができる程度の一般的な言葉にまとめて、瞑想を続けた方が良いと思います。頑張ってください。


■出典    『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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