私はまず市民一人一人の「拗(す)ね」を解消しなければいけないんじゃないかと思うのですよね。「拗ね」というのは自分に向かうと「どうせ俺なんて」という自虐になり、他人に向かうと「〇〇のくせに」という冷笑になります。

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松本紹圭(東京神谷町・光明寺僧侶) 
(サンガジャパンVol.36 「掃除ではじめる『遅いインターネット』」)
※肩書は掲載時