新型コロナウイルスの出現による様々な困難に、2600年前から続く仏教は、どのような思考で向き合うのか? 私たちがこれからの時代を幸福に生きるために必要なお釈迦様の智慧をスマナサーラ長老にお尋ねした。
第9回 「ありのまま」と「成長」について
編集部 「経済的な豊かさだけが、本当の幸福ではない」という考え方がコロナ禍でさらに広がっていると感じます。その流れの中で「ありのままでいい」「あるがままでいい」という幸せの理想像が支持を集めていると思います。
同時に「本当に『ありのまま』でいいのか?」という疑問も起こります。経済的な成長ばかり求めるのは良くありませんが、ありのままで幸福になれるのでしょうか? そもそもなぜ、人は「ありのまま」「あるがまま」というフレーズに惹かれるのか、それは現代がリラックスして幸福に生きることのできない時代だからかもしれないとも思いますが、いかがでしょうか?
■どうしようもないときに使う「ありのまま」
世の中の人々が惹かれている「ありのまま」「あるがまま」というのは、それほど深い意味ではないのです。条件がハードで太刀打ちできないというか、まあ仕方がないという感じで「ありのままでいいんじゃない?」という気持ちになるだけのことです。心の中で自分勝手に何かやりたいという気持ちがあるけれども、なかなかそうはできないので「ありのまま」「あるがまま」という言葉を持ち出すことになる、というわけです。
サラリーマンを例に出せば、たとえばある社員が、自分の会社の人間関係やら仕事の内容が気に入らなくて、直したいところがやたら目について困っているとします。すると先輩が「おまえにこのマンモス会社のシステムを変えることなどできないし、やろうとしても骨折り損で終わるだけだ。ただありのままに言われた通りに、真面目に自分の仕事だけをして落ち着いて生活するように」とアドバイスするのです。このような場合にも、「ありのまま」「あるがまま」という言葉が使えますね。個人が自分の状況を変えたくない場合や、変える方法がわからない場合、変えようとしてもどうにもならない場合などに、気休め・諦めのために、「ありのまま」「あるがまま」という言葉を使っている気がします。