中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)
ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。全六章(各章5回連載)のうちの第二章です。
第二章 神話の中の聖域 湊と依里の〝銀河鉄道〟[2/5]
■ジョバンニとカムパネルラの聖域
イラスト:中村圭志
電車を隠れ処──聖域──とする湊と依里は、そのまま銀河鉄道列車に乗り込んだジョバンニとカムパネルラの姿である。多くの人はこの点に異存はないでしょう。
しかしまあ、皆さんは『銀河鉄道の夜』がどんな話だったか、どのくらい正確に思い出すことできるでしょうか?
私たちが湊&依里の上にジョ&カムを重ねてすんなりと納得してしまうのは、第一にそれぞれの少年たちが夢のような電車/列車に乗り合わせているからであり、第二に湊&依里と同様にジョ&カムの関係が同性愛的なものに思われるからです。
しかし、『銀河鉄道の夜』のディテールにこだわる方は、第二の点に違和感を覚えるかもしれません。というのも、原作を改めて読んでみると、ジョ君のほうはかなりカム君に御執心なのですが、カム君のほうはそうでもなさそうな書き方になっているからです。
『銀河鉄道の夜』のそもそもの設定では、ジョバンニは貧しい家の子で、カムパネルラは裕福な家の子です。カムパネルラのお父さんは博士であり、昔の社会のことですから、明らかに二人の間には階級差があります。
(なお、それと関係があるかどうか分かりませんが、ジョバンニは個人名で、カムパネルラはやっぱり姓でしょう。もし姓名を読み上げるならば、たとえばジョバンニ・ペトラッコ君とアレッサンドロ・カムパネルラ二世君みたいな感じかなと私は勝手に想像しています。初期の稿ではカムパネルラは級長と書かれていますから、他の生徒たちよりもエライので姓で呼ばれているのかも。──ともあれ、賢治が外国人名の性と名の違いなど気にしていなかったとも思われるので、こんな推論は意味がないかもしれません。)
ともあれ、ジョバンニのカムパネルラ憧憬の背景には、こうした階級差の問題が潜在しています。だからこその恋い焦がれなのです。カムパネルラ自身はよく躾けられた人間であり、差別意識なんかありません。しかしそれだけに誰にでも公平であり、ジョバンニをいじめている子ともふつうに付き合っています。いかにも級長さんです。湊と依里の間にこの種の社会的設定は当てはまりません。