アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「よく日本では経典自体に力があるといいます。本当ですか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    よく日本では経典自体に力があるといいます。本当ですか?

[A]

    言葉に呪術的な力があり、それを唱えることで願いが叶う、などということは、お釈迦様がたいへん厳しく否定した習慣です。呪術的なパワーがある言葉といえば、「マントラ」です。マントラとは、もともとは「観察するべき言葉」「考えるべき言葉」という意味です。それが八世紀ごろから、どんどん「呪術的な力がある言葉だ」と言われ始めました。いずれにしてもお釈迦様の時代よりも、ずっとあとのことです。
    「呪術的な力がある」という場合、言葉自体は無意味なほうがよいのです。逆に、意味があったら理解してしまいます。理解して理性で唱えると呪術的な力がなくなります般若心経の最後にある「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー」という呪文にしても、もともと、意味がないように作ってあります。般若心経は智慧の経典だと自画自賛しながら、結論としてマントラを唱えることを推薦するのです。断言的に矛盾です。
    しかし、「言葉に呪術的な力がある」という迷信のもとで、「これを唱えればこうなる」「あれを唱えればこうなる」などなど、次から次へと呪文(マントラ)が増えてきたのです。インドで仏教が衰退して最後、青息吐息になっていた時代に大乗仏教ではマントラを重視する宗派が現れたのです。「ヴァジュラヤーナ」「タントラヤーナ」「マントラヤーナ」という名前で知られています。チベット仏教と日本の真言宗でこの習慣が息
づいています。マントラを唱えればご利益が得られる、子宝に恵まれる、敵から守られるなどの現世利益に加えて、悟りに達する、ブッダになるというところまで発展(堕落)したのです。仏教徒たちはマントラを作ることにはかなりの腕前でした。
    マントラ文化は昔からあった迷信の生き残りです。理性を重んじる仏教は一切の迷信を否定しますが、仏教が堕落するともとの原始時代に戻ってしまったようです。
    しかし、ブッダが説かれたお経を唱えても、なんの力もないと言い切ることはできません。たとえば「生きとし生けるものが幸福でありますように」というブッダの言葉を繰り返し唱えると、心に慈しみの気持ちが現れるのです。それは言葉の呪術的な力によって起こる結果ではなく、理解によって起こる結果なのです。ブッダの教えを、その意味を理解しつつ唱えると心の汚れがなくなって、よい人間になる意欲が起こるのです。


■出典    『ブッダの質問箱』