中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)
ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。第五章は、LGBTQをキーワードに宗教論が展開されます。
第五章 『怪物』の背景 差別の歴史と宗教の両義性[2/5]
■さまざまなタイプの苦難
すでに幾度か触れたことですが、坂元裕二脚本のドラマは、生来の性向や特殊な事情によって人に説明しがたい苦労を負っている人々を毎回フィーチャーしています。
代表的な作品をいくつかピックアップして見てみましょう。
『わたしたちの教科書』(2007年)にはいじめの被害者、『Mother』(2010年)には両親から虐待された子供、『それでも、生きてゆく』(2011年)にはサイコパス系殺人事件の加害者家族と被害者家族が出てきます。いずれも相当にしんどい設定です。
さらに、『最高の離婚』(2013年)にはASD(自閉スペクトラム症)型のこだわりを見せる夫、『Woman』(2013年)には生活に困難を抱えるシングルマザー、『問題のあるレストラン』(2015年)には性的に屈辱的なパワハラを受けた女性、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016年)には低賃金労働をする青年、『カルテット』(2017年)には一流になれなかったクラシック奏者たち、『anone』(2018年)にはさまざまな形で落ちこぼれ的な境遇に陥った者たちがでてきます。
いずれの作品でも、以上挙げた苦難以外の苦難が重なっています。『anone』には左利きを矯正されてトラブルを招いてしまった少年が登場します。疾病としては、『Woman』の主人公のシングルマザーが再生不良性貧血を抱えています(100万人に6人の病気)。
なお、『最高の離婚』と『anone』でASDタイプの人物を演じているのは『怪物』で保利先生を演じる永山瑛太です。ですから、人物設定的に見ても、『怪物』は、同性愛者の受難に加えてコミュニケーション障害タイプの人物の受難が描かれていることは明らかです。
『Woman』に描かれるシングルマザーの苦労は、『怪物』にも前提として持ち込まれています。『わたしたちの教科書』の学校側の苦労は『怪物』にも変奏された形で受け継がれています。同性愛系では、『問題のあるレストラン』に女性言葉を使うパティシエが登場する他、『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021年)の主人公の亡くなった母親の秘かな恋愛関係として触れられています。LGBTQ問題に本格的に踏み込んだのは『怪物』が最初です。


