アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「歩く瞑想をしている時のさまざまな感覚について」です。

[Q]

    歩く瞑想をしている時、さまざまな感覚に気づきます。すべて実況中継しようとすると、とても追いつかなくて歩くことがままならなくなります。瞑想する時には、どの程度まで実況中継すれば良いのでしょうか?


[A]

■瞑想中はリズムを壊さないように気をつける

    歩く瞑想は自分のできる範囲でやってください。「左足上げる→運ぶ→下ろす」「右足上げる→運ぶ→ 下ろす」と、言葉を使わなくてはいけないという条件がありますから「あ、右足も曲がっている。左足も、あ、膝が曲がっている、あ、腰が上がっている」と感じるかもしれませんが、そんなに細かく言葉を当てようと思っちゃうとどうなりますか?    かなりややこしいことになりますね。「あ、腰も曲がっていて膝も曲がっていて、でも足は前に行って」とかね。そうすると動きと言葉の調和が無くなるのです。気をつけてください。
    修行する人はよく感じることなのですが、面倒臭いから、「左足上げる→ 運ぶ→下ろす」「右足上げる→運ぶ→下ろす」くらいでシンプルに集中してみます。感じることはいいのです。ただ、余計なことまで言語化しようと思うと、流れが壊れてしまいます。オーケストラを想像してください。演奏者が「あれ?    足が痒いぞ」とか余計なことに気が向くと、テンポがずれちゃうでしょう?    指揮者がタクトを振ったらとにかく楽器を弾かなくてはいけません。「痒いから、ちょっと待ってください」などはあり得ないのです。そういうことで、「左足上げる→ 運ぶ→下ろす」「右足上げる→運ぶ→下ろす」のリズムに乗って頑張ってください。
    しかし感覚はそれだけではありません。お尻を感じるわ、膝を感じるわ、踵を感じるわ--それから、足の動きに乗って身体の全細胞たちの流れを感じるわ、いろんなものを感じるのです。集中力が出て来ると見えてきます。それにも言葉をかけてここで入っちゃうと、もう演奏できなくなってしまうのです。自分のパートを一回も弾くことできないまま演奏終了になってしまうのですね。
    だからざっくりシンプルにしてください。それが正しいやり方なのです。いろんなものを感じます。頭でチェックする余裕が無いほどいろんなものを感じます。骨組みを感じる人がいるし、細胞の伸び縮みを感じる人がいるし、いろいろ。全てまとめて、単純な言葉で実況中継できることが修業を進める方法なのです。なので初めから、「上げる」「運ぶ」「下ろす」、という単純な言葉にしているのです。時々「明確に踵が上がる」「土踏まずが上がる」「指が上がる」「地面から離れた」「それから伸ばす」などとやたら細かく言葉にする人もいますけど、それは自我を張っているだけ。そうやって自我を張っても、決して悟れませんよ。だからといって、個々人の工夫に文句は言えません。細かく実況中継したければそれはそれで構いませんが、感じるものは全て実況しようと考えるとキャパオーバーになってしまいます。このオーケストラのリズムを壊さないでいってください。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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