蓑輪顕量(東京大学大学院教授)
第1回 前編
■はじめに
ブッダの瞑想はどのようなものであったのだろうか。一般にsatipaṭṭhānaいわゆる念処と訳されるものであるとされる。それは身心の行動に「注意を振り向け、しっかりと把握する」ことを内実とするものであった。しかし、最初から、すなわち菩提樹下における悟りの時から、この念処が行われていたのであろうか。実は、この点に関しては、異なった伝承が存在する。それがマッジマニカーヤに伝えられる『サッチャカ経』である。そこで、本拙論では、菩提樹下における正覚の内容が、どのようなものとして存在したのか、その内実を推測し、それからまた念処について考えることを目的とする。