アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「ライバルを持つのは良いこと?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    ライバルを持つことは良い事だと、学校の先生が言っていたけど本当ですか?

[A]

■ライバルではなく仲間を持ちましょう


    それは間違っていると思いますよ。よく言われてることですけどね。ライバルがいると、相手に対してすごく嫌な気持ちになるんです。つまり敵がいるってことですから。敵対心を持つことで自分が委縮するんです。
    能力には差があります。友達とゲームをやったりするでしょう?    相手がすごい仲良しだったら上手く進むんですが、相手のことを「あいつはライバルだ、倒さなくちゃ」と思っちゃうと上手くいかない。ライバルよりも仲良しの方が能力が上がりやすいんです。だから、ライバルではなくて 友達がいた方が良いんです。友達それぞれが能力もバラバラで、数学が得意な人がいるわ、絵を描くのが上手な人がいるわ、それぞれの才能を「それどうやってやるの?」「教えてあげる!」「教えてくれる?」と、教え合えれば自分の能力がドンドン上がっちゃうんです。ライバルがいるということは、自分が一人ぼっちになる事なんですね。一人で頑張らなくちゃいけない。一人ぼっちで 頑張るなんて、そんなことはできませんよ。たくさんの応援が必要なんです。だからライバルを作るのはとっても危険な事なんですよ。
    親に宿題を教えて欲しいのに、わからないし忙しいからと断られたとしても、友達がいれば大丈夫です。公園でも誰かの家でもどこでもいい。分からないものは教えてくれるし、全員わからないのだったら全員で考える。そうすると成長するんです。だから ライバルではなくて仲間なんです。なぜ「ライバルはいた方がいい」と考えるのかわからないんですよ。これは東洋思想ではありません。殺して自分が勝つっていう考えは西洋思想でしょうね。仲間がいることで人は成長します。ライバルがいたらもうアウト!    何もできなくなりますから。
    子供の頃、私にすごいライバル意識を持ってる同級生たちがいたんですが、この人たちは可哀そうだなぁと思っちゃったんですね。私に対してずーっとライバル意識を持っていて、色んな事をやるんですが結局何もできない。先生に告げ口するぐらいでね。私は気にもしない。だから結局は負けちゃうんです。ついに逆に皆を友達にしちゃったんです。私も暗記したくない学科がいっぱいあったし、嫌な科目もたくさんあったんですが、いっぱいいた友達が「これを教えてくれ」「それを教えてくれ」と言うので、私も良くわからないけど一生懸命勉強して教えてあげたんです。それで勉強が上手くいきました。仲間がいたからどんな試験でも満点で合格できたんです。ライバルだったら出来なかったと思いますよ。
    大学生の頃は、すでに単位を全て取ってしまっていたので、ちょこちょこと教える側に回っていたんです。そこに後輩が来ていきなり「私はトップで合格してやるぞ!」と言うんです。そうしたら他の友達がその人に「あなたが頑張ってもスマナサーラには勝てっこないんだから、ライバルにしない方がいいよ」と忠告したんですが、それで闘志に火がついて私をますますライバル視したんですね。私は全然気にもしなかったんですけど、十〜二十人のグループ内でもこの後輩だけは仲良くしないんですね。彼が一人ぼっちで勉強しようと思っても、友達が教えてくれなきゃ上手く行きません。私も訊いてくれれば教えて上げられるものがいっぱいあるのに……と思っていたんです。その後、私は首席で大学を卒業したんですが、二年後、この後輩が卒業試験を受けた時、不正をしていたことがバレて、卒業が四年間保留になっちゃったんです。 最悪ですね。その四年間、私はバリバリやっていたんですから。
    だからライバルなんか作ったらいけません。自分で自分の人生の邪魔をすることになるんですから。仲間がいいです。犬や猫でも仲間の方がいいんですよ。なんで「ライバルは良いもの」だって誤解するのかというと、野球や卓球やテニスなどのスポーツでは試合をしますね。相手チームを潰さなくちゃいけないでしょう?    それが誤解の元なんです。野球でも腕を上げたければ、すごく強いチームと試合しなくちゃいけません。強いチームと試合すると、相手のいろんな技がわかるでしょう。例え負けても、こういうところで負けた!    ああいうところで上手くいかなかった!    そういうところで相手の方が上手だった!    というところから勉強するでしょうに。だから仲良くしていれば、相手のチームに行って、そのコーチからも指導してもらって、その選手達もこちらに来て一緒にトレーニングしてもらって、試合をやる時でも、相手のことを知っているから、「あいつは右の方に行ったら必ず打つから左からやるぞ!」とかね。そこまで わかるようになるんですよ。「カーブは苦手だからカーブで勝負しよう」とか。ライバルじゃなくて、お互い仲良しだから出来る事なんです。仲良しだったら勝っても楽しいし、負けても楽しいんです。パーティーや食事会も一緒にできるから楽しい。だから、ライバルが良いというのは勘違いですよ。
    一人で居ると私たちは怠けちゃうんですね。だから、自分の能力がどこまで引っ張れるか、伸ばせるか知るために、誰かと比較した方が良いんです。例えば 、百メートル走ったら自分だったら三十秒も掛かるところを十五秒で走れる友達がいたとします、「あなたは足が速いね!    どうやったら速くなるの?」と訊けますね。その人の走り方もよく見て勉強すればいいんです。ライバルだったら「教えてやらない!」って言うでしょう。
    同じことをやっている人と仲良く、比較してみるのは構いません。数学の問題を解くのに五分かかったけど友達は三分だと。私も三分になるように頑張る。でもどうしても出来ないんだったら友達に「どうやってやるの?」と訊けば教えてくれるでしょう。これはライバルじゃないんですよ。ただの尺度。自分がどこまで伸ばせるのか、他の人のことを見て決めてみるんですね。
    例えば オリンピックというのは世界的な尺度なんですね。金メダルを獲ったら万々歳、スゴイと思っちゃうのは世界一だからですね。ではあの人たちは敵ですか?    オリンピックに参加する人たち、例えば日本にとって中国はライバルで敵、ドイツもライバルで敵、って変でしょう?    あくまでも比較してみるだけ。敵ではないんです。アイススケートも色んな国が参加しています。転んだら何でそうなったのかとよく勉強して、「あぁ、これで失敗したんだ。そこを直そう」ということで比較して…比較して…自分を上げる。自分を上げるためにはもっと上手い人と比較する必要がありますからね。
    スポーツだけじゃなく、書道の場合でも、腕を上げたければ立派な書道家のものと比較しなくちゃいけないでしょう?    比較してその通りにやって…やって…やって、やりまくって自分の腕が上がるんですよ。書道は先生が書いたお手本を習います。先生は敵ですかね?    勘違いしていますよ。ライバルはいない、友達がいるんです、仲間がいるんです。頑張って仲間にした方がいいんです。できるだけたくさんの人々を、先生達も仲間にした方が楽です。すごい便利です。
    そういうことで、ライバルではなく 仲間がいた方がよろしいということで、結論です。


■出典   それならブッダにきいてみよう: 教育編2 | アルボムッレ・スマナサーラ | 仏教 | Kindleストア | Amazon

教育編2.jpg 147.48 KB