アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「怠け」と「放逸」の違いについてです。

[Q]

   
日常読誦経典に入っている『Sallekha-sutta(サッレーカ・スッタ)』に、「怠け」という意味で「クスィータ(kusīta)」と「パマッタ(pamatta)」という単語が出てきます。両者の違いを教えてください。

 
[A]


■ただの「怠け」と「放逸」はレベルが違う

    どちらも「なまけ」という意味で似ているのですが、「クスィータ(kusīta)」と「パマッタ(pamatta)」ではレベルの違いがあります。「クスィータ」というのは世間一般でもよく聞く、いわゆる「怠け」のことです。私たちが知っている範囲の怠けです。やるべきことをやらない、後回しにすることです。
    この怠けをすごくレベルを高くして観ると、「パマッタ」ということになります。いわゆる「放逸(ほういつ)」という意味で、私たちは瞬間・瞬間で生きるべきなのに、実際は過去のことを考えたり未来のことを考えて生きているということを指しています。今に気づいていない、過去や未来を考えて生きる人が放逸・パマッタということです。今の瞬間に何をやっているのかと客観的に気づいていることが、不放逸・アッパマッタ(appamatta)であって、そうしないことが放逸・パマッタ(pamatta)なのです。パマッタとアッパマッタは過去分詞です。名詞は、パマーダ(pamāda)、アッパマーダ(appamāda)です。パマッタにはもう一つ、軽い意味があります。それは、善の道を歩まないで感情に負けて不善の道を生きることです。要するに、悪行為を犯す生き方です。その反対に、クスィータは単なる怠けです。
    そのように「怠け」のレベルの差によって、「クスィータ」と「パマッタ」という違う単語を使ってお釈迦様が表現しているのです。



■出典       『それならブッダにきいてみよう:瞑想実践編2」

瞑想実践編2.jpg 154.22 KB