中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)
ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。全六章(各章5回連載)のうちの第四章は、まさに宗教の主要テーマとなる“死と終末”がキーワードです。
第四章 死と終末のイニシエーション[4/5]
■宗教は死をどのように描いてきたか
『怪物』は「生まれ変わる」という言葉を機縁として、生と死をめぐる多様な意味を私たち観客に示しているのでした。その中には、転生や終末といった伝統宗教の来世観があるのみならず、古い神話の中に生きている冥界や黄泉や黄泉帰りといった観念も含まれています。『怪物』が死というテーマに触れるのはあくまでも通過儀礼の象徴表現としてですが、伝統的な死のモチーフをかくも網羅的に取り上げていることには驚かされます。
そこで、このセクションでは、人類史および宗教の歴史における死の表象の意味について、簡単に整理することにします。
これは死の表現のもつ多義性を理解するためにも、有効な手続きとなるでしょう。
■楽園と冥界
人類は死をめぐって二つの相反するイメージを抱いています。どちらも大脳の認識機能に由来するものであり、普遍性があります。
一つは「死とは滅びである」というものです。どんな原始人でも人類は仲間が死んだとき、「死」を理解します。それは肉体的および精神的な破壊ないし消失です。
もう一つは「死とは別の形の生である」というものです。この観念が生じるのは、我々の脳が常に他者とのかかわりの中で物事を認識し、対話を行なっているからです。つまり仲間が死んでも、その人が何らかの形で存在しているという印象はそう簡単には消えないということです。