中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)

ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。全六章(各章5回連載)のうちの第四章は、まさに宗教の主要テーマとなる“死と終末”がキーワードです。

第四章    死と終末のイニシエーション[5/5]


■死者の存在感──仏壇の中の父

    麦野家はシングルマザーの早織を動力源として回転していますが、シンボルの世界では仏壇のお父さんが中心です。お父さんはラガーであったとのことで、仏壇の周りにはラグビーボールなどが飾ってあります。
    早織は何かにつけ亡夫ののろけ話をします。湊をトンネルの中から連れ出したときも、夫の思い出として「ただいまーって帰ってきて、普通に複雑骨折してるんだよ」などと湊に言って聞かせます。マッチョぶりをのろけているのですが、湊のほうでは、自分が男かどうか分からないと感じています(ただし、湊の懸念は振る舞いが女子っぽいということではなく、男子が好きだという点においてだけかと思われます)。
    湊がお父さんのことを慕っていることは確かです。「男らしい」父のことを疎んじてはいない。早織はふだんから湊に仏壇の父に近況報告させていますが、このたび湊はお父さんに、新しい秘密の友人ができたことを報告しています。母には内緒だけど、父には言えるんですね。どうやら湊の不安の源泉は、お母さんの「結婚して普通の家庭を」という強い思いにあるようです。
    湊が依里に語ったところによれば、お父さんは「のぐちみなこさん」という女性と温泉に行って事故で死んだのであるとか。「のぐちみなこさんはダサいニットを着ている」とも言っています。これはたぶん早織の言いぐさを子供らしくそのまま述べたものでしょう。もし不倫だったら早織がもっと恨んでいそうなものですし、仕事の同僚と出張に行った際の巻き添え事故みたいな偶発事件だったのかもしれません。恨むに恨めないからせめて服装のダサさにケチをつけたのであるとか。いや、真相は分かりませんが。
    ともあれ、湊の父親に対するイメージに翳りやわだかまりのようなものは何もありません。推察するに、湊が自分の性愛が人と異なることを気に病むようになるよりはるか前から、死んだ父とは、仏壇を介して、深い情緒的な絆ができていたのだろうと思います。