涅槃を私たちが求める究極なことであるとすれば、それが禅系であれば、坐禅、只管打坐でやっていく。浄土系であれば称名念仏「南無阿弥陀仏」と称えるなかで、すべてが成就されることです。ただそれだけです。
片山一良(駒澤大学名誉教授)
(サンガジャパンVol.25 「経典に沈黙を読む 坐禅瞑想に沈黙を知る」)
※肩書は掲載時

2025/07/16 07:00
涅槃を私たちが求める究極なことであるとすれば、それが禅系であれば、坐禅、只管打坐でやっていく。浄土系であれば称名念仏「南無阿弥陀仏」と称えるなかで、すべてが成就されることです。ただそれだけです。
片山一良(駒澤大学名誉教授)
(サンガジャパンVol.25 「経典に沈黙を読む 坐禅瞑想に沈黙を知る」)
※肩書は掲載時